《MUMEI》

 俺は何ヶ月もかかった大プロジェクトを終えて、ようやくリラックスした気分になっていた。鳥居に電話すると奴も出張から帰ってきて家にいる。俺は一升瓶を持って夜の九時頃、鳥居の家に行った。
 錆びだらけの小さな鉄門を開けて、俺はがたぴしゃいうガラスの引き戸を開けて玄関に入った。
「よう!鳥居!来たぞ!」
 すると奥の台所から割烹着を着て出てきた者を見てびっくりしてしまった!
 高校生一年ぐらいか!
 瓜実型の顔をして、肩まで艶のある黒髪を自然に垂らした女の子だった。
「あ・・・す・・・済みません・・・俺、設楽と言います」
 その可愛い女の子はくすと笑うと、
「兄のお友達ですね!二階で待ってますよ」
 俺は固くなって靴を脱いで二階に上がった。
「コーヒーでいいですか?」
 彼女が階段の下から聞いた。
「は・・・はい!お願いします!」

 俺は階段を這い上がって鳥居の部屋に入った。そして奴の肩をひっぱたいた!
「おい!なんで妹さんが来ていることを言わないんだよ!」
 鳥居は眉をしかめて、
「妹?・・・あ、ああ!忍(しのぶ)か!一週間前、こっちに来たんだ」
「忍さんていうのか!あんな可愛いなんて知らなかったぞ!絶対お母さん似だよな!お前は親父似に違いない!」
 鳥居はぽかんとした顔を見せたが、にやりと笑って、
「・・・そうだな。確かにあいつは母親似だ。お前、気に入ったのか?」
 俺はどもった。
「え・・・い、いや、そ、その・・・あんな可愛い子なら誰でも気に入るだろうよ!」
「なんなら、恋人いないみたいだからデートしてやれば?」
 鳥居の顔が悪戯小僧のように笑った。
 俺は真っ赤になって、
「え・・・いいのか?・・・お前、本気かよ?」
「聞いてみるか?」

 そのとき、階段を登るとんとんという軽やかな足音。
 忍は兄の部屋に、盆にコーヒーを二つ乗せて入ってきた。くりくりしたその瞳で俺を見て笑った。
 可愛い!
 こんな武者(むさ)い兄にこんな妹が!
 鳥居がコーヒーを俺の前に置いている忍に言った。
「忍!吾郎がお前をどっかに連れて行ってくれるみたいだぜ」
 忍はえっと驚いた顔を俺に向けたが、すぐうれしそうな笑みを見せて、
「え!ほんと!どこに連れてってくれるの?」
 俺はこの成り行きに戸惑っていた。
 親友の妹だから、こんなに簡単に連れ出すことが出来るのだろうが・・・
 ちょっとやばい!この子は俺の好みすぎる!

「俺、映画見たいな!恐いやつがいい!」
 『俺』・・・!
 鳥居は腹を抱えて笑っていた。
「がはは!・・・吾郎!忍はちんちん付いてるぜ!」
「お・・・男?・・・!弟さん?」
 忍が兄を責める様に言った。
「なんだよ!兄貴!俺、よく女の子に間違われるけど、せっかく吾郎さんが映画に連れてってくれるって言ってんだからいいだろ!」
 そして俺を向いて小首を傾げて笑いながら、
「吾郎さん!連れてってくれるんだよね?」
 俺はその顔を吸い込まれる様に見ながら、頷いていた。


 俺は、映画館が幾つも入っている、巨大デパートの銀座マリオンの前で忍を待っていた。あの約束から一週間経っている。まだ三十分前だ。
 俺は本当に忍が来るのか分からなかった。
 忍は鳥居家の末の三男で、すぐ上の妹の存在を知っていた俺は、忍が彼女であると勘違いをしてしまったのだ。
 忍と姉は、二年前に両親が九州に隠居した時、一緒に付いて行ったが、忍は東京の高校に入りたいといって戻ってきたのだ。前の家に兄貴と住めば両親も安心だ。
 俺は落ち着かず、タバコを何本も吸い続けていた。大きな通りのガードの前にある吸い殻入れは満杯で、俺の足下に吸い殻がたくさん落ちている。
 待ち合わせた五時になった。来ない・・・十分経った。そして二十分・・・
 それはそうだ。
 男の子とデートなんて冗談だったのだ。今頃、あの兄弟は大笑いしているだろう。いいさ、真に受けた俺が馬鹿だった・・・
「遅れてご免なさい!」

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