《MUMEI》

 ふいに後ろから声を掛けられて俺は体を硬直させた!
 息を弾ませた忍が立っていた。

 首の回りが大きくゆったりと開いたうす紫色の絹製の半袖シャツにぴっちりしたジーパン姿だ。ベルボトムの裾から青い色のサンダルを履いて形よく揃った足の指が覗いている。
 俺は唸ってしまった。きれいに梳かれた髪が、長いうなじを離れて夕方の風に舞う。
 前から見ても、胸を良く見なければ女の子だって言っても分からないだろう。
「どうしたの?吾郎さん。俺、何か変?」
 腰に巻いた携帯や小物が入っていると見えるバンドの上に手を置いて、片足に重心を移した。どっかのグラビアで見た様な女の子の魅惑的なポーズ。回りを通り過ぎる男や女が俺たちを見ていく。
「すげえ、可愛いじゃん!」
「へー、よくあんな子、引っかけたね」
 こんな声を聞いてか、不適な笑みで俺を見上げていた忍は、俺の横に来て俺の腕を取った!
「あのさ・・・『バイオ・ダメージ』って見ない?」
 180センチの俺の肩ぐらいの背だから、165センチはあるだろうか。はじめて鳥居家で会った時はもっと小柄かと思った。顔が小さめなのでそう思ったのだろう。


 あの夜、台所の片付けが終わると忍も俺たちの話しに入ってきた。女の子の様に臑を両側に出してちょこんと座った。俺たちのえっちな話を目を丸くして聞いている。
「・・・おい、忍クンにはまだ早いんじゃないか?」
 と鳥居に言うと、
「何、少し勉強させないとな。こいつ晩稲(おくて)のくせに結構、女に持てるからな」
「ふーん。忍クン、持てるんだ・・・可愛いから当然か」
 やはり男の子は男の子だ。
「兄貴は俺に女の子の選び方なんかうるさく言うんだよ。別にまだ興味ないのに!」
「お前な!男が十五、六になれば毎日マスかくんだぞ!いつでもやりかた教えてやるぞ」
 忍は兄にあっかんべえをして、
「冗談!兄貴になんかに触らせるかよ!」

 すると、俺の方を見て恥ずかしそうに言った。
「・・・吾郎さんに教えて貰おうかな!」
 俺はコーヒーを思わず吹き出した!
 鳥居は俺の様子を見ていてにやりとして、
「そうだな・・・吾郎、お前まだ童貞だろう?忍に教える代わりに、筆下ろしさせて貰えよ」
「な!何言ってんだ!」
 鳥居は真っ赤になった俺の顔を指さして笑い転げた。忍は笑いを堪えていたが、その前と違った目で俺を見ている様な気がした。
 確かに俺は童貞だ!だが、やり手の鳥居からの聞く話や、その手のあらゆる雑誌などで情報は十分知っているぞ!
 夜が更け、翌日に学校の部活の早朝練習があるというので、忍は兄に追い出されてしまった。忍は立つ時、俺を見た。
「吾郎さん!じゃ約束だよ!」
「え!あ・・・ああ」
 襖戸を閉め掛けてふとこちらを向いた。
「吾郎さんて童貞じゃないよね!兄貴の友達で童貞だなんて信じられないもん!」
 ふふと笑って、軽やかな足音を立てて上に上がっていった。
 後ろ髪を引かれる思いで、忍の後ろ姿を見送った。酒の封印を切った俺は、痛飲した。
 鳥居は興味深げに俺を観察していたが、その後、忍のことは何も言わずに飲み続けた。
 朝、鳥居の部屋で雑魚寝をしていた俺は、忍の行ってきますという声に目を醒ました。玄関のガラス戸がぴしゃと閉まった。


 この1週間、俺は忍の笑い顔を思い出すたびに気はそぞろになり、仕事に手がつかなかった。その忍が今、俺の横にいる。
 忍は恋人のように肩を寄せて、俺の左腕に手首を絡ませて笑った。
 シャンプーの良い匂いがした。

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