《MUMEI》
三本目 中指
 翌日は、酷く穏やかな朝から始まった
起きるや否や李桂は本堂隣の蔵へと向かい、そこに山積みにされた古めかしい書を読み漁っていた
眉間に深い皺を寄せ、中々意味を解すことの出来ないソレと黙々と対峙する事数時間
元より根気強い方ではない李桂が書を放り出してしまうのにそれ程時間は掛らず
仰向けに寝転び、唯ぼんやりと天井を眺め見ていた
舞いあがった埃に視界が白く霞んでいく
何も解らないという事がこれ程までにもどかしく腹立たしく感じるとは
憎々し気に舌を打ち、脚を振ったその勢いを借り、身を起こした
その直後
「御住職、いらっしゃいますか?」
微かに表戸の開く音
出向いて見れば、そこには昨日亡くなった役人の家族が数人
当然に暗い表情で並んで立っていた
一体何事かを問うてやれば
「……主人達の葬儀を、こちらでやって戴きたいんです」
との申し出
断る理由もない李桂はすぐ様に承諾し、明日にでも行う事が出来ると伝えてやれば
揃って頭を下げ、明日にでも遺体を連れてくるとの話でにな帰って行った
死人を弔う
それは何度経験しても慣れるものではなく
唯々、胸苦しさが己が内に残るばかりだ
「……兄貴、辛そうな顔してるよ」
開いたままの戸からの華月の声
李桂は座ったまま身を翻し、華月の方へと膝を向ける
「兄貴って昔っからそうだったもんね。坊主のクセしてお葬式とか全然苦手で」
「わざわざ毒吐きに来たのか?この暇人」
「そんな訳ないでしょ。これ、渡しとこうと思って」
言って終わりに差し出してきたのは、数珠
見覚えのある随分と懐かしいソレは、幼少の頃に病に没した父親のモノで
一体どうしたのかを問うてやれば、ソレが腕へと巻き付けられる
「部屋掃除してたら出てきたの。お守りに、ね」
「華月……」
「何かさ、ちょっと不安なの。いつもやる気のない兄貴が柄にもなく必死になってるから」
気休め程度でしかないが身につけていて欲しいとの訴えに、李桂は微かに肩を揺らす
言われてみれば、本当にらしくない程に必死になっている自分がいて
ソレが、李桂にしてみれば可笑しく思えてしまった
一言だけ礼を伝え、華月の頭をかき乱すと李桂は外へ
出るや否や、表に最早見慣れてしまった女性の姿が
憔悴しきった様子で何をするでもなく立ち尽くすばかりの女性
李桂は何を言ってやる訳でもなく、唯何用かを端的に問う
「……くるみを、見なかったかしら?」
返ってくる声も弱々しく、その様は見るに痛々しい程だ
だがその行方に心当たりなどある筈の無い李桂は、知るかと一言、素気なく返すだけ
「……何所へ行ってしまったのかしら。早く、早く見つけなければ」
力なく呟きながら、女性は徐に己が手を睨めつける
そこにあるのは無数の斬り傷
新しい傷なのか、ソコからは血が滴り落ちていた
「くるみ、くるみ!何所に居るの?そろそろお昼寝の時間よ」
流れるソレを気に掛ける事もせず、一心に娘の名を呼びながら踵を返し
その後ろ姿は瞬間に消えていた
李桂は舌を打つと、目的なく歩く事を始める
途中、道端で露店を見つけ、そこに並ぶ束売りの榊を手に取った
「朝から精が出るな。婆さん」
顔見知りの店主へと声を掛けてやれば軽く頭を垂れてくる
老人特有のゆるりとしたそれの後、相手は水きりした榊を李桂へと差し出してきた
どうしたのかを問うと
「何やら良からぬ予感がするのです。この榊は神木、きっと御住職を守ってくれるでしょう」
だから持っていけ、と一束渡され
李桂は一言礼を言ってそれを受け取るとまた歩く事を始める
行先など、決めていなかった筈なのに
いつの間にか李桂は指塚の前へと辿りついていた
ざわつく木々に漸くその事に気付いた李桂
塚を睨めつけ、そこに見えた後ろ姿に李桂は憎々し気に舌を打つ
「……何を、しに来たのかな?」
李桂の気配に問うてくる声
ソレは以前のような濁った声ではなく、可愛らしい少女のそれで
だが、何気なしにみたその指には、見て痛々しい程の傷が無数に出来ていた
僅かに顔を顰めて向ければ
くるみはゆるりと李桂の方へと近く寄って来る

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