《MUMEI》

「林太郎君、やっと熱も引いたね。」

春三に診察され、林太郎はすっかり良くなった体を伸ばす。

「まさか、歩いて帰る羽目に為るなんて。」

あの後、最終を逃した林太郎は仕方なく足で帰った。

足には自信があったが、運悪く雨に降られた。

「君も意地に成らず戻れば良かったんだ。」

春三は珍しく苛立っている。

「影近誉にあれ以上深入りさせることは出来なかったから。」

何かの拍子で出生が解ればややこしい、そんなことを誰も望んでいないのは林太郎も重々承知だ。
春三は何か云いたそうにしたが一呼吸置いてから話し出す。


「……君の父上も体が丈夫な方だった、君のように周りに気を遣い最期は癌で亡くなってしまったんだ。
林太郎君にはまだ実感が無いのかも知れないけれど、君は肉親なんだよ。心配してしまうじゃないか。」

春三は林太郎の手首に触れ、脈を診た。



「俺が長く居た商家ではどんなに体を壊しても倒れるまでは働いていた。
皆に休めば迷惑がかかったからだ。一日中部屋で眠るのは久し振りだった。
昔、倒れてしまい看病して貰ったことがあって、熱で浮されてる間、春三さんや女中さんの手が懐かしかった。
辛いばかりに思えた過去の時分で其れを思い出せたのが素直に嬉しかった、幸せ過ぎて感謝し切れないみたいだ、慶一にも。」

林太郎は窓から育った土地の方角を見据えた。
そしてたった今、扉の隙間から垣間見えた慶一を見逃さなかった。

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