《MUMEI》
流理ノ存在
「……あの、僕歩けないんですけど、今は春日有希の作詞家やってるんです。春日有希は今は兄の谷口流理がやってくれていて、僕のわがままを聞いてくれる優しい人です。僕達は両親がもうこの世の人ではないので、兄とふたりでずっと生きて来ました。兄を高校へ通わせるために、僕は芸能界に入りました。そこで早苗さんと出会ったんです」

一息つく。

「最初は声にすごく感動しました。伸びがあってよく響き、耳あたりの良い声で、この声の持ち主に会いたいなと思い、マネージャーに聞いたんです」

もう一度一息つく。

「僕は照れ屋だから偶然を装ったりしないと早苗さんには会えなくて、だんだん自分の気持ちに気付いていきました。だから――…気持ちが一緒だとわかると、本当に嬉しかったです」

あの頃を思い出すと懐かしい。

「それからしばらくして、歩けなくなることがわかると、早苗さんとは一緒にはいられないと思うようになり、黙って入院しました。芸能界の一切は兄に託し、携帯電話の電源は切ったまま家に置いて」

この選択はつらかった。運命さえ呪った。

でもどうにもならなくて、早苗の幸せを願って決めたことだった。

「それなのに退院して家に帰って来て携帯電話を見てみると、早苗さんから毎日一件ずつメールと着信が入っていました。嬉しい反面悲しくもありました」

オレのことは忘れて次の相手を見付けて欲しい、とした行為が全然伝わってなかった。

一体早苗は何を待ってるのか、どうして信じていられるのかがわからなかった。
「兄に頼んで、僕のフリして別れを告げてもらおうとしました。兄には恋人がいましたし、双子だということを知らない早苗さんには浮気にしか見えないだろうと思ったから。……でもお節介な兄は僕に内緒で早苗さんを家に連れて来てしまったんです。早苗さんには感謝しています。またこんな僕を選んでくれたから。僕の子供を産みたいと言ってくれたから。兄にも感謝しています。いつも僕の背中を押してくれました。歩けないことはお前の個性だ、って言ってくれたんです」

……ふと、顔を上げると、早苗とその両親は目に涙をためていた。

「ちょっ……どうして泣いてるんですかっ」

「……いいでしょう。結婚を許します。ただし、正式なことは有理くんが二十歳になってから。子供は好きにしなさい」

オレは動けなくなった。何を言われたのか理解するのに時間がかかった。

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