《MUMEI》
5#霧の屋敷C
急激に押し寄せた感情に、訳も分からず立ち尽くしていると部屋の奥から「草馬」と主からの呼び声で引き戻された。
振り向くと、先ほどの老人とは思えぬ顔つきで草馬を見据えるお屋敷主様と目が合った。

「草馬、座れ」
優しい眼差しは消え失せ、目の前に座るのは長年屋敷を守り続けた一人の威厳ある主だった。
草馬が急いで障子を閉め、主の前に跪くとキセルに火を点け煙をくゆらせ始めた。
数分が経過しただろう。
主の顔をしている時のお屋敷主様の前に居ると、それが数時間にも数日にも思える程の威圧感だ。
「長年な、こういう屋敷に住んでいるとわかるのじゃ。」
ぽつり、ぽつりと糸を紡ぐようにお屋敷主様は話始める。
「戦場でな、身寄りを失った子を拾い、屋敷に住まわせ育て客を取らせ。働かせ。また子を拾い、育て。
 繰り返しじゃ。人の世はいつも戦乱に満ち野垂れ死ぬのは生きる術を持たぬ子供じゃ」

草馬もその拾われた子の一人であった。
戦場近くの村に住んでいた草馬を、男手一つで育て、剣を教えていた父が目の前で斬られた。
父の骸の横で自分の身長より長い刀を抱え泣いていた草馬を屋敷に住まわせてくれたのが、お屋敷主様だった。
草馬を含め、屋敷で立ち働く全ての人、妖怪が主に拾われて来た子なのだ。
皆、主に恩があった。そして、本当の親の様に信じ尊敬していた。


「草馬、お前は刀で屋敷と自分を守る道を選んだ、そうだな?」
「はい、お屋敷主様」
「ベッコウを見てどう思う?」

――――!!

見透かされた?先刻の自分の押し寄せた感情を見られたというのか?

草馬はただ黙って主の瞳を見返す事しか返答できずにいた。

「恋、じゃな」
「コイ?!い、いえ俺は!そんな感情ではなく。ベッコウとは仲が良いだけで、友情というか、あのその」
急に取り乱した草馬を少し驚いた表情で眺めていた主だが、キセルの灰を壷にコツンと落とすと草馬を見据えた。
「おぬしの事ではない」
「え、、。」
「ベッコウと今宵客人で来ている佐々木と言う侍の事じゃ」
自分のことではなかった安堵感で、草馬は全身から力が抜けてしまった。
「佐々木がベッコウに恋焦がれる事は別に構わんのじゃが、ベッコウの方が惚れてしまうのはあまりよろしくないのじゃ」
「と、言いますと」
草馬が体制を取り直し、主を見返すと「うーん」と顎を撫でつつ先刻ベッコウが出て行った方向を見つめる。

「ベッコウはな、見ての通りの端麗な容姿じゃ。本人もそれを自覚しておるのじゃろうて、屋敷と自分を守る為に客と床に入る選択をしたのじゃ」
「はい、心得ております。」
「じゃがな、ベッコウのような性格が恋をしてしまうと。屋敷と自分ではなく、相手を守る為だけに動いてしまうのじゃ。」
「はぁ」
「それは、恐ろしいことじゃ。屋敷を、皆の家を失うことになるやもしれぬ」

恋心に任せて屋敷を飛び出し、相手のふところに飛び込む事が幸せなのかもしれない。
だが、屋敷を抜け出した先が屋敷を良く思っていない国であれば?
内部を知り尽くした、ベッコウが相手のために情報を漏らすことは十分に考えれる事だった。

「草馬、今晩はベッコウの部屋の前を警戒。抜け出す様な素振りがあれば。即、ベッコウと侍を斬れ。」

――――2人を斬れ?

予想だにしない主の一言に耳を疑う。

「しかし、お屋敷主様」
「草馬、わかったな。」
屋敷を危うい状況に陥れる可能性があるものは迷わずに切り捨てる、その冷酷さがあるからこそ屋敷や皆は守られて来た事を草馬は知っていた。
そして、刀で屋敷を守る道を選んだ自分には断ることが出来ない事も。
「……仰せのままに。」


お屋敷主様の部屋を出ると、縁側から庭に降りベッコウが佐々木と言う侍と過ごす部屋の方向へ歩み始める。
月夜はいつの間にか霧に包まれ、遠くから風に乗ってやってくる血の匂いと混ざり合い草馬の心を騒がせてくる。

―――頼む、ベッコウ。馬鹿な真似はしないでくれ。

強く心を縛りつけ、草馬はベッコウの部屋の軒下に潜り込んだ。
霧の夜は長くなりそうだ。

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