《MUMEI》

林太郎は慶一と互いに粗相の無いように行動を共にする。
金持ちだと一目で判断が付く調度品や派手な細工の家具には林太郎の反感を買い、兼松の感性の優良さを思い知らされた。


「やあゝ、慶一君。この間叔父上には世話になりました。」

林太郎は早速会いたく無い人物と出会う。
影近誉だった。


「こちらこそお招き頂き光栄です。
譲(ゆずり)様の御婚約おめでとうございます。」

慶一は丸暗記にしては上等な挨拶を交わす。


「慶一君、彼は……」


「はい、僕の叔父である圓谷の血縁で在る圓谷林太郎です。」

此れで赤面症が無ければ慶一は満点の説明だった。


「“始めまして”圓谷林太郎です。」

林太郎は先に手を差し出した。
自分が一度会ったと悟られないように、一度も見せなかった笑顔で迎える。
欝陶しい髪も切り揃え、綺麗に整え装いも紳士らしく振る舞う。
幸い、今日は誉の横に連れの女性も居て自由に身動きが取れなく、林太郎も風邪のせいで聲が掠れていたので同一人物とは思えなかった。


「林太郎君、どうぞ宜しく。うたた寝をして蝶の夢でも頼みたいものですよ。」

誉は得意の微笑で片手を滑り込ませ林太郎の手首に触れてくる。


「女々しいお人ですね。山櫻を眺めに行けばあはれと知るかもしれませんよ。」

林太郎の返しに満足して誉は手を離した。
慶一は理解出来ずに林太郎と誉を交互に見た。



遠回しに誉は恋しいと云ったのだ。

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