《MUMEI》

「慶一、

うたた寝に 
こひしき人を
見てしより
夢てふものは
頼みそめてき だよ。」

林太郎は句を暗唱した。


「小野小町だね。
“夢てふ”にかけて云ったのか。」

慶一は感心し首を上下に揺らした。


「そうゝ。句を使い、婉曲して友人に成りたいと云いたかったんだろうけど何だか厭味たらしいから、女々しいと云ってお断り申し上げたんだ。」

其れだけでは無い。
“こひしき人”……恋しい人を想いながら眠ると夢でその人が現れるという当時の信仰が織り交ぜてある句である。

告白されたようなものだった。
其のような茶番に付き合わされる程、林太郎は暇を持て余してはいない。


誉は林太郎の知力を探る為に発言をした。
林太郎を見て、成金貴族達に紛れ一人紳士然とした態度が目に留まったのだ。


北王子の慶一は、嫡子で有るが代々持ち合わせた北王子の才気を継いでおらず、影近家三男で有る自分が麗しい北王子の御令嬢が産まれれば貰い承けようと誉は思案した程であった。

しかし、圓谷と名乗る其の青年は往年の北王子の当主そのままの品を持ち合わせていた。


口からは圓谷林太郎への探求心が支配している。
腕を絡める女なんかよりも今の誉には林太郎の反応が気掛かりであった。



「もう、初夏ではありませんの。“山櫻”だなんて圓谷さんてば変わったお人なのね。」

執心を垣間見せ誉の横の女は林太郎に敵意を剥いた。


「そうだね。」

林太郎の断りも誉に同じく句の引用であった。

『 もろともに
 あはれと思へ
 山櫻
 花よりほかに
 知る人もなし』

という、花を懐かしみ読み手のあはれな心を理解してくれるのは花(山櫻)の他に無いと云う句から、“てふ”(蝶)で在る自分ではなく隣の“花”を見るようにと誉を諭したのであった。
そんな事に気付け無い彼女の無学さと、林太郎の利発さに誉は溜息を漏らすばかりだった。



林太郎は深く溜息を漏らす。歩く度に、慶一に話をかけるからだ。

慶一と親しくも無い彼等はまるで旧知の仲であるかのような笑顔を向け、或る人は林太郎を探る。


「慶一、二人で居るとかえって目立つから二手に分かれようか。なに、俺のことは遠縁の親戚のお守りを押し付けられたとでも云えばいいさ。」

慶一は体格が良いので目立つので、林太郎が隣り合うと余計に視線を浴びる。
林太郎はいい加減、捌いていくのに疲弊していた。

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