《MUMEI》 子供特有の無邪気な笑みを深沢へと向け、蝶々が欲しいのだと手を差し出してきた 「その蝶、とても綺麗。ずっと、ずっと本物を見てみたかったんだ」 笑みを絶やす事はせず、唯一人勝手に話す事を続ける少年 楽し気なその様に、深沢が訝しまない筈もなく はしゃぐばかりの子供を睨めつけてやった 「そんな恐い顔、しないでほしいな。……これがどうなっても知らないよ」 突然に低くなる声色 そして深沢へと突き付けられたのは、陽炎の片羽根だった 両の手でそれを握ると、引き裂いて見せる様な仕草 「これが無くなっちゃうの、困るの?これってそんなに大切なんだ」 嫌みに笑いながら、少年の視線は幻影へと移る 指先を伸ばし、だがその先に幻影は停まる事はなかった 「……本当に綺麗だ。全部、全部欲しいな」 楽し気に方を揺らしながら少年は踵を返す 深沢に背を向けながら 「コレ、僕がもらっていくね。返してほしかったら、僕を捕まえてごらん」 一方的に会話は切られその姿は人混みの中へと紛れて消えていった 追いかけようと深沢は土を蹴るが、人の波に行く手を阻まれ見失ってしまっていた 手の平の上で痙攣を起こしている片羽根の陽炎を見、深沢は舌を打つ 「あんなモン、一体何するってんだよ」 何が目的ではん絵を持ち去って行ったのか わけなど解る筈もなく、深沢は唯その場に立ち尽くすしかない しかし立ち尽くしていた処で状況は何一つ変わらない、と 髪を手荒く掻いて乱し、深沢は取り敢えず帰路へ着いていた 自宅前 表戸をまるで塞ぐように立つ人の影が見えた 随分と久方ぶりのその人物に、深沢はため息をついて返す 「久しぶりだってのに何なの?その態度。アンタ、私に喧嘩売ってんの?」 そこに立っていたのは、中川 ゆりこ かつて幻影の研究をしていた人物で、今では何かと深沢達のフォローをしている 文句を言いながら、だが深沢の掌の陽炎の姿を見、その言葉は途切れた 片羽根の蝶々 左右非対称なその姿は、見るものにひどく違和感を覚えさせていた 「……アンタ、ソレどうしたのよ?」 その問い掛けも当然の事で しかし、明確な答えなど今の深沢に返してやれる筈もなく 知るか、と一言で家の中へ 戸を、開くなりだった 三和土に滝川が倒れているのを見つけたのは すぐさま抱え起こしてやれば、深沢の姿に安堵したのか、弱々しい笑みを向ける 「おか、えり」 細い声での出迎えに、深沢は取り敢えずただいまを言って返すと滝川を横抱きに寝室へと入って行った ベッドへと降ろしてやり だが深沢のシャツを掴み離そうしないその手をやんわりと解きながら、寝ろと彼の低音が呟いた 柔らかく額を撫でてやれば、その柔らかさに滝川は眠りへと誘われていく 「……ね、深沢。一体何があったの?奏君どうして……?」 問うてくる中川へ 言うより先に、深沢は半身の陽炎を彼女前へ これまでの経緯を一応は説明してやる 「……その陽炎の半身を持って行った奴って一体誰なの?深沢、心当たりは?」 「ある訳ねぇだろ。そんなモン、あったらこっちが聞きたい」 憎々しげに呟きながら、深沢は無造作にポケットへと手を突っ込むと そこから煙草を取って出して、銜えると火をつけて 白い煙を溜息と共に吐いて出していた 普段は吸う事をしないソレを吸ってしまう程に 自身が苛立っている事に気づき、その事に更に苛立ちを覚えてしまう始末だ 取り敢えずは片羽根の陽炎を滝川の掌へと置いてやると 若干ではあるが落ち着いた呼吸の様子に、深沢も肩を撫で下していた とは言えこのままでいい筈もなく、深沢はまた外へ だが、それを中川に止められた 「少し位奏君の傍にいてやんなさいよ。私の方でも、探しといてあげるから」 そう深沢へ伝え、中川はその場を後にした 静かになった室内 特にする事が無くなった深沢は、滝川の傍らへと何気なく腰を降ろす 滝川の長い前髪を掻き上げ、額に手を触れさせれば 程良くその手が冷たいのか、微かに笑みが漏れた 前へ |次へ |
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