《MUMEI》
銭湯
 銭湯は古くからあったようで、掃除をこまめにやっていても拭えない何か、そこに在り続ける威厳のようなものを感じた。どっしりと構え、大地に根を張り巡らせた大樹にも思える銭湯の、絵に描いた様な外観についつい見惚れてしまう。暖簾には左右に『男』、『女』という風にでかでかと記され入口が二手に分けられている。
 そしてついつい右側に目が行ってしまう俺だったが、
 「ま、実際入ったりしないけどな」
 一瞥して左の暖簾を潜った。
 「・・・いらっしゃい」
 真ん中にある番台にいた背中の曲がった婆さんがヨボヨボと歓迎してくれ、俺はそれに軽く答えるとお金を渡した。
 「はいはい・・・おひとりさんだね。はい、ごゆっくり」
 置かれた小銭を数え終えた婆さんは反対方向、女風呂のほうへと顔を向け近くにいた婆さんと話を始めてしまった。ここにきているのはみんな馴染みのある人たちばかりのようで、脱衣所は軽い社交場のような雰囲気をしている。そのなかでも初めての俺はやはり浮いてしまうだろう。
 そう思って、俺は手近な棚にバックを入れ服に手をかけた。
 「よう、兄さんはどこから来たんだい?」
 上着を脱ぎ、厚地のトレーナーを脱いでいる時だ。視界には裏面の粗い生地だけが入り、声の主の顔を見ることが出来ない。
 「ちょ、ちょっと待ってください」
 肩甲骨を動かし厚地のトレーナーを巧みに脱ぎきり声の主へと振り返った。そこにいたのは中高年の男性で、風呂から出てきたのだろう、体は濡れていた。
 「あの、なにか?」
 「いやなに、見かけないのが来てたから声をかけただけだよ。、私はよくここに来るんだ、ほぼここに来る人間を知っている。新しく引っ越してきたのかな?」
 「いえ、旅行で来たんです」
 濡れた髪の毛をタオルでわしゃわしゃと抜きながら耳を傾けていた男性は不思議に思ったようで、動かす手を止めてこちらを見ると口を開いた。
 「旅行でかい? ここに名所なんてないんだけどね、なんでまたこの町を選んだんだい」
 男性の言うとおり、この町になにかほかの町に勝るものがあるわけではない。平均的な、代り映えのない町なのは知っている。あの人が首を傾げるのも納得だ。
 「友達でも住んでるの?」
 「いえ、そういうわけじゃないです。俺、昔この町に住んでた頃があったんです、それで懐かしくてつい」
 理由を聞き感心したように頷いて見せた男性だったが、すぐに顔をほころばせて俺の肩に手を置いた。
 「それじゃあ私たちはいまから仲間だね、この町を愛する者同士仲良くしようじゃないか」
 予想していなかった展開だった。こんな風に優しくされるなんて思ってもいなくて、受け入れてくれたことに呆気にとられ言葉が出ないでいると男性は風呂に入るよう促してきた。
 「さ、風呂に入ろうじゃないか。君の話を聞かせてくれ」
 男性の言われるがままに俺は風呂へと向かった。

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