《MUMEI》
異常と云う日常
 赤いフルカウルのバイクを降り、その姉さんに似た女性は私に歩み寄る。革靴がアスファルトを鳴らす。少し怖かった。彼女は私の前に立つと、じっと私の顔を睨む。

「あんたが冬峰花音ね」

 彼女の、余りの気迫に、私は頷くことしか出来ない。

「そう」、とだけ彼女は言い、バイクに戻る。そして、彼女は私に黒いヘルメットを投げた。

 慌ててそれを受け止める。状況が掴めず、彼女を見る。赤いフルフェイスのヘルメットを被り、彼女は私を急かした。

「さっさと乗って!」
「あ、はい」

 怖かった。だから、私はバイクに跨がって彼女の体を掴む。いい匂いがした。何処かで嗅いだことのある……、あの人の、姉さんの匂い。懐かしい。この人は一体……。

「百目鬼美紅。よろしくね」

 再びあの轟音を響かせて、バイクは走り始めた。いつもの並木道。風を切り。これから何処へ行くのだろう。好奇心と恐怖心。二つのエンジンが、私の鼓動を高鳴らせる。

「あ……」、と呟き彼女はバイクを急停車。甲高いブレーキ音が響く。彼女はスーツのポケットを探り、アイマスクを取り出す。

「一応、着けといて」
「あ、はい」

 暗くなった視界。感じられるのは風の感触と、エンジン音。それと、彼女の背中の温もり。何をされるのか。そう考えると怖かったけど、彼女の体温が私を安心させた。

 梅雨の近い、五月下旬の夕方。姉さんに似たその人は、私を平穏から異常へと引き込んだ。


 どれくらいの時間、乗っていただろうか。十分程だったかもしれないし、一時間程度だったかもしれない。緊張が時間の感覚を狂わせていた。私の体内時計は、時にゆっくり、時に速く、とその針を刻む。

「降りて」
 バイクが停車し、エンジンが止まった。彼女にそう言われてヘルメットを取る。アイマスクを取ろうとした時、彼女に止められた。
「それは外さないで」

 言われるままにバイクを降り、彼女に手を引かれて、何か建物の中へ。地面を踏む感触が、アスファルトから何か違う物に変わった。妙に靴音が響く。視覚を奪われて他の感覚が研がれたのか。彼女は私の歩調に合わせて、ゆっくり歩いてくれた。

 私の手を掴む彼女の手は、姉さんみたいに温かい。何処かで嗅いだことのある彼女の匂いは、姉さんの香水と同じ匂い。本当に私の手を引く彼女が姉さんなんじゃないかって、本気で思った。

 カッ、と彼女は足を止める。私も彼女に続いて立ち止まった。

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