《MUMEI》
父の背中、母の涙
 日常に戻っても実感は湧かなかった。ベッドに寝転がり、見上げた天井。それはいつもの白い天井で、其処にいつもの私が居た。

 救世主という存在がどんなものなのか、想像できない。何で私なんだろうって思う。そもそも普通の高校生が、いきなり救世主だとか何とか言われて、それが想像できる方が異常なのかもしれない。

 でも、私は救世主になったんだ。世界を救うのが使命。何となく格好が良い。昔、映画を見て憧れたエクソシストみたいな、そんな感じ。あの映画は私に恐怖ではなく、夢を与えた。いつか私も誰かを救いたい。なんて、昔は思っていたっけ。

 今になって思い出すと、唐の昔に置いて来た記憶だけど、それが実現すると少し嬉しい。

 危険なのは解っている。命を落とすかもしれないってことも。現に姉さんは死んだ。怖くないって言えば嘘になる。今は凄く不安だ。だけど、これは私が決めた道だから。救世主になるって、私が決めたことだから。

 でも、やっぱり両親のことは気になる。母さんは泣いていたし、父さんだって辛いはずだ。姉さんを失ったことも大きい。姉さんがいなくなって、そして、私まで救世主に……。

 ――こんな時に個人もクソも無いんだよ!

 あの人は強いよ。自分よりも世界を、姉さんの想いを大切にしている。

 だからこそ、姉さんの、冬峰沙織の妹だからこそ。姉さんの想いを私が受け継ぐんだ。 姉さんとは色々、衝突もしたけど、それでも大好きだから――……。


「ん……」
 徐々に意識が鮮明になって来た。ぼやけた視界。遠くで聞こえる鳥の囀り。朝か……。
 起き上がって携帯電話のディスプレイを見る。午前五時。珍しい時間に起きたものだ。ふと、窓の外を見る。薄明に起き出した世界が其処にある。いつもと変わらない、少し早い朝。

 ベッドから抜け出し、顔を洗う。今日から救世主。そう思うと、冷たい水も苦ではない。歯を磨き、服を着替える。こんな朝早くに起きてすることは一つ。

 ウチは古武道の家元で、私も姉さんも小さい頃から武道を習って来た。姉は飲み込みも早く、直ぐに上達したけど、私は全然駄目で。よく父に姉さんを見習いなさいって言われたのを覚えている。

 そんな思い出に浸りながら、母屋の隣にある小さな道場へ向かった。

 五月下旬の凜と澄んだ朝の空気が私を包む。清々しいとはこのことだ。道場の入口に行くと、既に其処の扉は開けられていて、中を覗くと父が真剣を振っている。

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