《MUMEI》

高校を卒業して、私は都内にある語学専門の学校に入学した。《フランス・アメリカが共同で、日本に設立した学校》、ということもあり、日本特有の入学セレモニーや、大規模な修学旅行などは一切無かった。
今までの日本独特の教育制度の中で生きてきた私にとって、この校風は新鮮であったのと同時に、戸惑いも少なくなかった。

学科は英語科とフランス語科の、大きく二つに別れていて、英語科は中級、上級、超上級の3クラス、フランス語学科は入門、初級、中級、上級の4クラスというように、さらに細かく別れていた。
他には専科として、ビジネス会話やら外国人講師による少人数クラスやら、シャンソンやワインを学ぶクラスやら、色々あった。

両科とも、授業は完全選択制で、自分の好きなクラスを好きな時間帯に設定出来るため、大学生や主婦、フリーターやサラリーマンまで様々な人達が、それぞれの目的のために通っていた。

当時の私は、フランス語通訳を目指していてこの学校に、朝から晩まで缶詰状態で通い詰めていた。大学や短大に進んだ高校の友人達とは違い、バイトやサークルに励むことも、クラブで夜通し遊ぶこともせず、ただストイックに講義と試験に明け暮れる、全く色気のない毎日を送っていたのだった。

玲子は、この学校に入学して初めて出来た数少ない友人の一人だった。

新しい学校生活に不安だらけだった私に、優しく声をかけてくれたのが、当時、同じフランス語科入門クラスにいた玲子だった。

玲子は私より4歳年上の社会人で、あの頃は貿易関係の会社のOLをしていた。
海外でも不便がないほど、英語は堪能だった彼女は、私にこう言った。

「海外旅行が大好きで、今まで色んな国に行ったけど、フランス語圏はどうしても英語だけじゃ大変でね。だったらフランス語も勉強しておくかって、思ったわけ」

入学した動機を明るく話す玲子はキラキラ輝いていて、18歳だった私にはとても眩しかった。
私達はすぐに意気投合し、お互いのスケジュールが許せば学校外でも会うようになった。その後クラスが別れても、学校を去った現在でも、親交は続いている。



「あの頃は、よかったよね」

私は手に持ったワイングラスを眺めながら、呟いた。私の呟きを聞いた玲子は、半眼で睨みながら、「オバサンみたいな台詞やめてよ」とつっこんだ。

「まるで今、満足してないみたいじゃない」

私は慌てた。

「そういう意味じゃなくて、あの頃は何も分かってなくて、ただ毎日、夢中で過ごしてたな〜って、思ったからさ」

玲子は黙っていた。私はグラスをテーブルに戻し、ため息をつく。

「学校行って授業受けて、空き時間にはカフェテラスで自習して、また授業受けて…試験結果に一喜一憂して、あの時は大変だったけど、今にして思えば、一番『生きてる』って感じる」

そこで私が口を閉ざすと、すかさず玲子が呟いた。

「今は?」

私は彼女に視線を向ける。玲子は真剣な瞳を私に向けていた。

「今は、『生きてる』って感じないの?」

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