《MUMEI》 周りを見渡すと、先程の混雑が嘘のように、カフェテラス内は、だいぶ閑散としていた。 根を詰めすぎていると、少しだけ反省しながら、私はバッグから財布を取り出した。 その時だった。 「座っても、いいですか?」 男の人特有の、心に重く響くような声が聞こえて、私は視線を上げた。 ちょうど私の向かい側の席に、男性が一人、椅子の背もたれに手を掛けて立っていた。歳は私よりも、上に感じた。彼が放つ独特の雰囲気が、チャラチャラと遊びこけている、同世代の男の子達にはない、落ち着きと余裕を兼ね備えていたから。 断る理由のない私は、「どうぞ」と彼に返事をした。彼はニッコリと微笑み、「失礼します」と挨拶して、ゆっくりと椅子に腰掛けた。それと入れ代わるように私は椅子から立ち上がり、カフェテラスの奥にある自販機へ向かう。 その途中、ちらっとカフェの中を見遣った。 昼間とは違い、空席が目立つテラスの中、何故か私が座っていたテーブルだけが相席していた。 他にもテーブルは沢山あるのに、どうして私がいるあの席を選んだのだろう。 不思議に思いながら、適当に飲み物を買うと、すぐテーブルの方へ向き直った。 思わず、眉をひそめてしまう。 相席した、彼が、私の仏語のテキストを手に取って、パラパラと流し見ているのだ。 −−なにしてんの…? 人の私物を勝手に触るなんて。 非常識なひと…。 私は機嫌を悪くして、ズカズカとテーブルに戻ると、私の足音に気づいた彼は、ゆっくり顔を上げた。彼の、その目を睨みつける。 「勝手に触らないで下さい!」 強い口調でそう言うと、彼は「ああ…」と曖昧に頷き、それからニッコリ笑う。 「ごめんね、フランス語に興味があったもんだから」 何だか言い訳がましく聞こえ、私はムッとしながら、テキストを乱暴に引ったくる。 「だからって、勝手に人の物触るなんて、モラルに欠けてるんじゃないですか?」 厭味っぽく言って返すと、彼は困ったように笑いながら、「ごめん、ごめん」と謝った。 「不愉快な思いをさせちゃったね、悪かったよ」 私はちらりと彼の顔を見遣る。彼は真剣な眼差しで私を見つめていた。 私は、また彼から目を逸らし、椅子に腰掛けた。テキストのページをめくりながら、尋ねる。 「興味あるなら、仏語習えば?」 「今は英語の特訓中。興味があっても、時間と金に余裕がないよ」 「…それって、言い訳じゃない。やる気無いんじゃないですか?」 「やる気はあるよ。でも、タイミングが合わないんだ」 彼の回答は飄々としていて、捕え所がなく、私にはよく理解できなかった。彼は特に気に留める様子もなく、自分のかばんから洋書を取り出すと、静かに読みはじめた。 何となく彼の事が気になり、私はちらっと盗み見る。その洋書はどうやら英語で書かれているようだった。 「英語科のひと…なんですか?」 私は珍しく思い小さな声で尋ねた。 この学校は仏語科と英語科の二つに別れてはいるが、どちらかといえば仏語学科で有名な学校だったから仏語科の生徒が大半を占めていて、実のところ、英語科の生徒を見かけたことがあまりなかった。 前へ |次へ |
作品目次へ 感想掲示板へ 携帯小説検索(ランキング)へ 栞の一覧へ この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです! 新規作家登録する 無銘文庫 |