《MUMEI》

「『英語、分からないんです』、だって。ビックリしたよ。何しにアメリカ来たの?って思わず聞いちゃった」

話によれば、彼女は中学・高校、そして大学で、英語の勉強をしただけでアメリカに渡ったらしい。語学力に自信は全く無かったが、行ってしまえば何とかなると安易に考えていたようだ、と彼は淡々と話した。

「みんなが思うほど、外の世界は甘くないよ。言葉が通じなければ、人間として扱ってくれないひともいる」

遠い目をして、彼は言った。
私は少し黙ってから、「そのあと、その彼女、どうしたんですか?」と聞いた。
彼は肩を竦めてみせた。

「二週間もしない内に不登校。いつの間にか日本に帰ってた」

仕方ないよ…彼女は焦り過ぎたんだ、と彼は呑気な口調で言った。
私は俯いた。彼は優しい声で続けた。

「ゆっくり勉強して、ネイティブに負けないくらいの会話力を身につけて、それから向こうへ行きなよ」

私はゆっくり顔を上げる。彼は、優しく微笑んでいて、諭すように言った。

「俺達は別に、海外へ早く渡る競争をしているわけじゃない。向こうへ渡ってから、自分の夢を実現出来るか、どうかが重要なんだ」

私の気持ちを汲み取ってくれているのだ、と漠然と思った。嬉しさのあまり、目頭が熱くなっていく。そんなふうに言ってもらったのは初めてで、そして、自分の中にある醜い劣等感が、浄化されていく気がした。
しばらく黙っていると、彼は「…なーんてね」とおどけてみせる。

「偉そうな事言って、俺もまだまだだけどさ、お互い気楽にやろうよ」

「Take it easy、って事で」と、彼は軽い調子で言った。
私は本当に泣きそうになり、頬杖をつきながら俯いた。そして大人ぶって、無理に微笑んで見せる。

「変なひと…」

全く面識のない私に対し、こんな激励をするなんて、ホントに変わってる…。

私の囁きに、彼はキョトンとして「誰が?」と尋ねてくる。その顔が可笑しくて、私は吹き出して笑ってしまう。私の笑いに、彼は何か気づいたようで、「もしかして俺のこと?」と素っ頓狂な声で言った。私はより一層、笑ってしまう。

「日本で勉強してろって言われたのは初めて。みんな、私が若いからとか、これからよ、とかテキトーなことしか言わないのに」

「…若いって、失礼だけど、君、幾つなの?」

彼の問いに、私は考えを巡らせるように天井を仰ぎ見て、それから再び彼を見つめ、ぼそっと答える。

「…19」

年齢を聞かれるのも苦手だった。私は顔立ちのせいか、それとも仕種や振る舞いのせいなのか、絶対年上に見られるのだ。
仲の良い玲子ですら、そう思っていたのだ。

見た目と年齢のギャップは私のコンプレックスの一つだった。

どうせ彼も、「落ち着いてるね〜」とか適当に感心したように言って、でも内心、老けてるな…とか思うんでしょ?
私は卑屈になり、俯いた。

しかし彼は予想に反して、急に笑い出した。

何故彼が笑っているのか分からず、私は顔を上げ、思い切り眉をひそめる。
ひとしきり笑った後、彼は「ごめん、ごめん」と謝りながら、目尻を指で拭った。

「19歳か。そっか、そっかぁ〜」

そして吹き出して、また笑う。

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