《MUMEI》

私はだんだん気分が悪くなった。

「…何が可笑しいんですか?」

少し刺のある声で問いただすと、彼は笑いを堪えながら、答えた。

「やっぱり、それくらいの歳だと思ったよ〜」

私はその言葉に驚き、「え?」と聞き返した。彼は続ける。

「他人の目とか、色んな事、気にしすぎてるでしょ?そういうのは、若い子特有だからね」

私はよく理解出来ず、首を傾げた。彼は身を乗り出して、「じゃあさ」と言った。

「俺は幾つに見える?」

突然の質問に面食らったが、私は彼の顔をまじまじと見つめてから、答える。

「30…かな?」

絶対に同世代ではない。落ち着きのある雰囲気と、その物腰は多分それくらいだと思ったのだ。
私の答えに、彼は「え〜!?」と非難の声を上げる。

「ウソ、三十路?」

戸惑いながら、頷き返すと、彼は深いため息をつきながら、背もたれに体重をかけた。

「うわ〜、ショック」

「何歳なんですか?」

「25だよ。俺、老けたのかなぁ」

彼は、「まあ、確かに四捨五入すれば正解だけどさ…」と言ってまたため息をついた。打ちひしがれている彼の姿を、キョトンと眺めていたが、私は吹き出して笑ってしまう。彼も、私の笑顔を見て、柔らかく笑った。

私達の間に、優しい時間が流れていく。

変なの。
さっきまで、モラルの無い非常識なひとだと少し軽蔑していたのに、今はとても安らげる…。

先に沈黙を破ったのは彼だった。

「お互い、名前知らないよね」

そういえば、自己紹介していない。
彼は「聞いてもいい?」と優しく尋ねた。

「…櫻井 瑶子」

私は素直に名乗る。彼は「ヨーコ?」と繰り返した。

「ヨーコって、どう書くの?」

尋ねられて、私は自分のノートの端に名前を書いた。彼は私の字を真剣な眼差しで見つめて、ゆっくり顔を上げ、微笑む。

「綺麗な名前だね」

そんなふうに名前を褒められたのは、初めてのことだったので、少し恥ずかしくなった。しかし、彼は気に留めず、私の手からペンを奪うと、私が書いた名前の横に、スラスラと何か書きはじめた。
私はそれを覗き込む。

『松嶋 俊平』

そう、書かれていた。

「マツシマ シュンペイ…」

私が読み上げると、彼は「俺の名前」と何故か得意げに言った。私はゆっくり顔を上げると、彼と、目が、合った。
そして、彼はニッコリ笑う。

「よろしく、瑶子ちゃん」



これが、私と『あのひと』−−−松嶋 俊平の出会いだった。

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