《MUMEI》
忘れたいひと
何となく気まずいまま、矢代さんに別れを告げると、私と啓介はフレグランスコーナーから立ち去った。
そのあと化粧品を買う気になれず、私達は気を取り直す為、お茶でもしようと百貨店の上層階にあるレストラン街へ向かった。

混み合う昇りのエレベーターの中、私は啓介に密着した状態のまま、一言も口にすることは無かった。啓介も私と同じように黙り込み、ただエレベーターの行き先のサインランプをじっと見つめていた。

そのうちエレベーターがレストラン街に到着すると、溢れ出すように沢山の人達が降りた。私と啓介は最後にエレベーターから降りる。

レストラン街は昼時ということもあり、親子連れやカップルなどで、かなり賑わっていた。私達は沢山ある飲食店の中から、空いていそうなお店を捜す為、フロアを歩き回った。
その間も、何の会話もしなかった。

ようやく見つけたお店は、60年代のアメリカをイメージ出来るようなポップなファストフードを取り扱っている、こじんまりとしたカフェだった。

店内にいる客は若者達ばかりで、甲高い笑い声を上げる女の子達や、汚い言葉を大声で喚き散らす男の子達などで、少し騒がしく感じた。
ゆっくりくつろげる雰囲気ではないものの、他のお店は凄い混雑の為、仕方なくこの店に決めた。

啓介は「先に、席座ってて」と、素っ気なく言うと、さっさとレジへ行ってしまった。残された私は、トボトボとお店の奥にある空席のテーブルに向かう。

アルミ製の椅子に腰掛ける。椅子は硬く、冷たいので座り心地は最悪だったが、今の私の気分にピッタリだと独りごちた。
私は深いため息をついた。それから店内を見回してみる。

若いカップルは、幸せそうに肩を寄せ合ってお互いの耳元でなにやら囁き合い、友達同士でたむろしている若者のグループは、なにやらコソコソと話し込んでいたかと思えば、時折楽しそうに笑い転げている。

みんな、それぞれの時間を楽しく過ごしていて、そしてそんな空間に、自分も存在していることに、激しい違和感が沸き起こった。

まるで自分が、決してこの世界に交じり合う事の出来ない『異端者』のような、そんな錯覚すら覚える…。

ぼーっとしていると、啓介がトレーにホットコーヒーを二つ載せて、私が待つテーブルにやって来た。
ふんわりとコーヒーの香ばしい香りが、私の鼻孔をくすぐる。
啓介はトレーをテーブルの上に置き、「砂糖とミルク、いらないよな?」と慣れたように尋ねてきた。私は黙ったまま、頷く。
それを確認してから、ようやく啓介は私の向かいの席に座った。
そして、先程の私のように、深い深いため息をついた。

沈黙が私達を包み込む。

私はトレーの上の、コーヒーから立ち昇る湯気を、ぼんやりと眺めた。

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