《MUMEI》

何も答えない私に、俊平はぽつりぽつりと話しはじめた。


小さい頃、LAに住んでいるカメラマンの叔父さんの影響で、写真に興味を持ったこと。
学生の時、長期の休みに合わせてLAにステイして、叔父さんのアシスタントをしながら英語の勉強をしたこと。
大学卒業後、両親のすすめで割と有名な出版社に入社したものの、夢を諦めきれず退社したこと。
そして、本格的にアメリカでカメラの勉強をする為に、この学校に入って、英語の勉強をしながら、留学先を探していたこと。


何もかも、初めて聞いた話ばかりだった。

あんなに近くにいたのに、私は俊平の事を、何ひとつ分かっていなかった。

『同志』なんて、カッコイイ事言っていたのに…彼の夢も、目標も、何も知らなかった。


私は、小さな声で、「いつから…?」と尋ねると、俊平は、「8月に」と簡単に答えた。

「ちょうど、学校が夏休みに入る頃に、向こうへ行く」

私は、一度、瞬き、それから微笑んだ。

「おめでとう」

ウソだ。
『おめでとう』なんて、本当は思っていない。
だって独りになってしまう。
玲子もパリへ行ってしまってから、メールもあまりくれなくなった。彼だって留学したら、私のことなんかすぐに忘れてしまう。
嫌だ。離れたくない。

私、スランプなんだよ。フランス語、分からなくなっちゃったんだよ。授業が難しくて、ついていけないんだよ…。

他にも言いたい言葉は沢山あった筈だった。
けれど、思うように口が動かず、在り来りでつまらない『おめでとう』という言葉しか、口に出来なかった。

「俊平なら、きっと上手くいくよ」

イヤダイヤダイヤダ。
玲子がいなくなっても寂しく無かったのは、他でもなく俊平が傍に居てくれたから。
彼がいなくなったら、私はどうなるの?
彼が、俊平だけが、私の最後の砦だったのに…。
独りにしないで、と私の中の誰かが泣き叫ぶ。

それに、気づかないフリをして、私は「頑張ってね…」と呟くと、俊平は何も答えず、ただ笑った。




助けて…。

その夜、すがる思いで、私は玲子にメールをした。

玲子がパリへ経ってからの私達の事を、とり憑かれたように全て書いた。

俊平と付き合ったこと。授業に行き詰まっていること。
そして、俊平がアメリカへ行ってしまうこと。

朝まで返事を待っていたけれど、忙しいのか玲子からの返事は、無かった。




そして、8月。

俊平は、私に「手紙も電話もメールもするよ」と言って、笑顔で別れ、アメリカへ旅立った−−−。

悲しみに打ちひしがれている私を、日本に残して…。

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