《MUMEI》

すると、受話器の向こう側から、低い男のひとのくぐもった声が、「あの…突然、すみません」と答えた。

その声に、私は固まった。
愛しさと切なさに、心が震え出す。

男のひとは、言った。

「松嶋といいますが」

「…俊平?」

間髪入れずに私が名前を呼ぶと、相手はびっくりしたようで、一瞬、言葉を詰まらせ黙り込む。

でも私は、確信していた。

間違いなく、この男のひとは、俊平だと。

「俊平でしょう?」

畳み掛けるように言うと、彼はやっとのことで、「瑶子?」と聞き返してきた。

ああ、やっぱりそうだ。
こんなふうに優しく私の名前を呼んでくれるのは、俊平しかいない。

彼は、まだ戸惑いを残した声で続けた。

「びっくりしたー。いきなり瑶子が出ると思わなかったから」

「それはこっちの台詞だよ。こんな夜中に誰からだろうって、ちょっと怖かったんだから」

怒った口調で返すと、俊平は明るく笑った。

「そっちは夜だよね…12時くらいか」

その言葉に私はテレビボードの上にある置き時計を見遣る。時計は12時10分を過ぎた所だった。
ニューヨークとの時差は14時間だと、依然、俊平から聞いていた。だから、向こうはだいたい、朝の10時くらいなのだろう。

そんなことを考えている間も、俊平の声が私の耳に流れ込んでくる。

「あ、ゴメン。もしかして勉強してた?邪魔したかな?」

「平気。テレビ見てただけ」

「なーんだ。てっきり課題に追われてるかと思ったのに」

「バカにしないでくだサイ。俊平とは違いますから〜」

「何だよ、それ。ひでぇ言い草!仮にも彼女だろ?」

嬉しかった。
途切れることなく続いていく会話が、ただ嬉しかった。

どんなに遠く離れていても、私達は変わらず、繋がっていられる−−−。

俊平と夢中で話す内に、失いかけていた自信が、蘇ってくるのが分かった。


そうよ。
ずっと、私達はこんなふうに幸せに、明るく共に過ごしていくのだから。
玲子が…他の誰が、何を言おうとも。
私達の絆は、永遠の。


「それにしても、どうしたの?」

「電話なんて初めてじゃない?」と私が声を弾ませて尋ねると、俊平は「ああ!」とそこで初めて気づいたように声を上げた。

「伝えたい事があってさ」

心なしか、彼の声も生き生きとしていた。

「なあに?」ワクワクしながらさらに聞くと、俊平は明るい声で答えた。

「今年の夏、帰国するんだ」

帰国する?
今年の、夏?

「ウソ…」

思わず、そう言ってしまった。

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