《MUMEI》

俊平は、ブルーの箱を手に取って、嬉しそうに言った。

「こっちが俺の。メンズ用なんだ」

私はその箱を見た。シルバーの文字で『Week-End for Men』と書かれているのが、ちらっと見えた。
俊平は生き生きと説明する。

「カップリングっていって、メンズとレディースの香りがあるんだよ。カップルが二人でこの香りを纏っても、お互いの香りを引き立てるように調香する段階から、計算されて造られてるんだって」

私は「ふぅん…」と唸った。
カップル用の香り、か…。

「ホントかなぁ…」

気のない様子で呟くと、俊平は私の顔を覗き込むようにして、悪戯っ子のように笑う。

「それじゃ、試してみる?」

私は驚いて彼の顔を見た。彼はそれ以上何も言わず、私の手を取り、連れだってカフェから出た。




学校から離れた、ラブホテル。
彼が日本にいた頃、二人で利用していたホテルだった。
その一室に、私達はいる。

私と俊平は薄暗い照明の中で向かい合い、ベッドの上に腰掛けていた。
彼は黙ったまま、ナイトテーブルに置いた二つの香水瓶の、一つを手に取る。

レディース用の、ウィークエンドだ。

シルバーのキャップを取り、私の腕を掴んだ。そして躊躇うことなく私の、その手首に一度、スプレーする。

甘い…甘いフルーツの香りが、瞬時に部屋中に広がった。

俊平は私の腕を放すと、顔色を変えず瓶をテーブルに戻し、今度はメンズフレグランスを手に取って、自分の腕に吹きかける。

爽やかな、男らしい香りが、私の鼻孔をくすぐった。

彼はその手首をじっと見つめてから、ゆったりとした動作で、香水をテーブルに置く。

空中で、二つの香りが混ざり合い、溶け込んでいく−−−。

私はぼんやりとした眼差しを俊平に向けた。俊平も顔を上げ、私の瞳を真剣な眼差しで見つめた。
どちらからともなく、顔を寄せ合い、そして静かに口づける。

最初は優しく触れ合う程度の、それからだんだんと激しく、お互いの渇きを奪い合うように唇を貪った。
自然にベッドに倒れ込み、服を乱暴に脱がしていく。

−−近い未来、いずれは離れ離れになることは分かってた筈でしょう?

不意に遠くから、玲子の声が聞こえた、気がした。

彼は、はだけた私の胸元に夢中で顔を埋めて始めた。そんな様子を冷めた目で見つめてから、私は視線をナイトテーブルへ流す。

テーブルにはランプが設えられていて、その朧げな光の下、二つのウィークエンドが、滑らかに輝きを放っていた。

悲しさと、寂しさを秘めた、その輝き。
遠く離れた二人の、それぞれの想いをのせた、その香り。

切なさに心が震え出す。

俊平の熱い手の平が、スルリと私の腹を下っていく。

玲子の声が、近くなり、遠くなり、ゆらゆらと響いてくる。

−−それくらいの覚悟は、瑶子にもあった筈…。

涙がこぼれそうになり、私はそっと、目を閉じた。

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