《MUMEI》
深い溝
…。

啓介に、全てを話し終えた私は、ゆっくり俯いた。
顔を上げられなかった。矢のように降り注ぐ彼の視線を、痛いほど感じていたから。

いつの間にかお昼のラッシュは終わっていたようで、カフェの中は私達の他に、数名しかいなかった。

沈黙が、痛かった。

啓介は黙り込んだまま、何も言おうとしなかった。耐え切れずに、私は重々しく、口を開く。

「お互いの為を思うなら、別れた方が良いと思った…俊平は…彼は自分の道を見つけちゃったし、私は私でもう誰かの背中を見送るのは辛かった。だから」

全部、やめたんだ…。

消え入りそうな声で言った。我ながら言い訳じみた言い方だと思った。そんな言い回ししか思い付かない自分が、愚かで、不様で、未練がましくて、本当に嫌になる。

再び沈黙が流れた時、少し離れた席にいる少女達が乾いた笑い声を上げた。その甲高い声に導かれるように、私は彼女達に視線を流す。

少女達は「有り得ないって〜!!」等と、口々に言い合いながら笑い転げていた。ぼんやりとその楽しげな様子を見ている私に、今まで黙り込んでいた啓介が、突然、言った。

「どうでもいいよ」

どうでも、いい?
とても冷たい言い方だった。私は啓介に視線を送る。彼は真面目な顔をして、私の泣き腫らした瞳をまっすぐ見つめた。
表情を変えず、啓介は繰り返した。

「そんなことは、どうでもいい」

「どうでもいいって…」

どういうこと?と続けようとしたのを、固い声で遮った。

「瑶子が昔、誰が好きで、誰と付き合っていたとか、そんなのは今の俺達には関係ない。昔の事言い出したら、キリがないだろ」

そこで一つ区切り、「問題なのは」と続けた。

「今の瑶子の気持ちが、誰にあるのか」

私は瞬いた。
今の、私の、気持ち…?
ぼんやりとしている私の耳に、啓介の声がどんどん流れ込んでくる。

「過去に何があっても、全部終わったことなら構わない。気にしないよ。でも、もし、自分の気持ちを消化しきれてないなら、話は変わってくる」

啓介は少し俯き、そして深いため息をついた。私は彼の顔を正面から見据える。
彼は顔を上げないまま、尋ねた。

「そいつのこと、まだ好きなの?」

突然の問い掛けに、私は狼狽した。
『そいつ』というのは紛れもなく、俊平のことだ。

すぐに否定しなければ。
「もう好きじゃない」と、言わなければ。
分かっているのに、なぜか言葉が出て来なかった。

耐え兼ねたように啓介は顔を上げ、鋭い眼差しで私を見つめ、はっきり言った。

「俺は瑶子が好きだよ」

まっすぐな言葉に、心が切なく揺れる。
啓介の真摯な瞳に吸い込まれていくような感じがした。

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