《MUMEI》
ひとの気持ち
家に帰ると、母が台所で夕飯の用意をしていた。大荷物の私の姿を見るなり、呆れたようなため息をつく。

「昨日で仕事は終わった筈でしょう?連絡も寄越さないで…それとも今日も仕事だったわけ?」

尋ねる母に、「啓介のとこにいた」と簡単に答えた。

「仕事終わった後、友達と飲んでて終電逃したから」

私の返事に母はさらに呆れたのか、深いため息をつく。

「いくら婚約してるからって、相変わらず勝手ね。啓介さんも迷惑でしょう?」

私は「そうかもね」と適当に返事をして、居間に移動し、トートバッグを床に置く。カウンター越しに母が、まだ小言を投げ掛けてくる。

「だいたいね、嫁入り前の娘が親に無断で外泊だなんて、みっともないと思わない?だらし無いのも、いい加減にしないと、啓介さんに愛想尽かされるかもよ?」

その言葉に、私は一瞬、動きが止まる。
愛想を尽かされる。
私は母の方へゆっくり微笑み、そして言った。

「そうかもね…」

私の様子を訝しく思ったのだろう。母は流しっぱなしだった水道を止め、「どうかしたの?」と尋ねた。

私は少し考える。
何と答えれば良いのか…。
結婚を白紙にしようかと、啓介と話をしていたと、正直に言った方が良いのだろうか。
少し間を置いてから、私は笑った。

「別に〜?どうもしないよ」

言ってから大きく伸びをする。

「独身の間に、散々遊んでおこうって思っただけ〜」

「今までずーっと、身を粉にして働いてきたんだもん」とさっぱり続けた。
私の態度に、母はいよいよ呆れ、大きなため息をついてから言った。

「仕方ない子…誰に似たのかしら」

母の愚痴は気にしないことにして、私は床に座り込み、テーブルの上に置いてある、テレビのリモコンを手に取った。

「料理も出来ない、掃除も出来ない…そんなんで良い奥さんになれると思ってるの?」

母はまだ、ぐちぐち言っている。
聞こえないフリをして、テレビの電源をつけた。画面に今人気の、女子アナの顔が大写しになる。彼女は綺麗に化粧を施した顔に固い表情を浮かべて、淡々とニュースを読み上げている。

《アメリカの大手証券会社が経営破綻し、その余波がアメリカ全土に広がっています…》

テレビのステレオから、彼女の凛とした透明感のある声が、私の耳に流れてくる。その声に乗っかるように、母の声が背後から聞こえた。

「啓介さんも、一体あんたのドコが良かったんだか…きっと趣味悪いんだわ」

聞こえよがしに、ふうっとため息をつかれた。

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