《MUMEI》

私は肩越しに振り返り、母を見遣る。母は私の顔を見て、言った。

「…仕事も辞めたんだし、結婚するまで花嫁修業でもしたら?お料理学校とか」

私は一度瞬く。

「やだよ、面倒だし。第一そんなお金ないもん」

「…遊ぶお金はあるくせに」

「それとこれとは別です」

嫌な方へ話題が向かったので、私は母から目を逸らし、再びテレビの画面を見た。
母は続ける。

「真面目に考えなさいよ。もっと自分を磨いたらどうなの?」

私はテレビを見つめたまま答えた。

「これ以上、キレイになってどーすんの」

ふざけた答えに、母は尖った声で「本当にバカね…」と毒づいた。

「冗談言うヒマがあったら、こっちにきて手伝ったらどう?」

正直、面倒だった。だが、ここで無視をしたら、そろそろ母の堪忍袋の緒が切れる頃だな…と思い付く。
私は「はぁ〜い」と気のない返事をして、よっこいしょ、と口にしながら、のろのろ立ち上がる。

キッチンに移動して母の隣に立ち、とりあえずシンクに置いてあった3個のジャガイモを、順番に洗い始める。
横から母がピーラーを差し出しながら、「4分の1に切っておいて」と指示した。
私は無言でピーラーを受け取り、ジャガイモを一つ手に取ると、勢いよく皮を剥きはじめた。

シャッ…シャッ…と軽快に皮を剥いていく。

静かになった部屋の中から、アナウンサーの声がテレビから流れていた。

《アメリカが経済不安では…我々は、この不況を乗り切るには、どうしたら良いんでしょうか…》

どうやらコメンテーターの経済学者に話を振っているようだ。そういえばさっきから、アメリカの証券会社がどうのこうのと、そんなニュースばかり伝えている。

アメリカ、か。

ふと、俊平を思った。
ニュースによれば、アメリカは物凄い不況で、失業者が後を絶たないという。

そんな国の中で、彼は元気に過ごしているのだろうか。
心配でならない。

画面の中の彼等のやり取りをぼんやりと眺めていると、突然、母に手の甲を軽く叩かれた。ビックリして隣を見ると、母が呆れたような顔をしていた。

「手が止まってるわよ!」

私は半眼で母を睨んだが、何も返さなかった。それから一度、皮を剥き、そしてぽつんと呟いた。

「ひとの気持ちってさぁ…」

鍋に火をかけていた母は面倒臭そうに、「え〜?」と曖昧に相槌をつく。私は気にせず続けた。

「難しいよね…何年付き合いがあっても、分からないことばかりで」

中学生の頃、友人関係によく悩んだ。今振り返れば、それは思春期によく有りがちな、些細なもの。誰にでも経験がある、ありふれた悩み。

もっと、相手の気持ちが分かれば良いのに…もっと、上手く自分の気持ちが伝えられたら。

大人になれば、上手にひとと付き合う術を、自然に身につけることが出来ると思っていた。

でも、大人になった今でも、ひとの気持ちなんか全然分からない。無駄に知識が増えた分だけ、関係がこじれたら、面倒なことになってしまう。


今の私と、啓介のように。

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