《MUMEI》
試練
静まり返ったキッチンの中、「とにかく」と少し改まった口調で続けた。

「相手のことをとやかく言う前に、自分の気持ちを見つけることね。そうじゃないと何も始まらないわ」

私は独りごち、俯いた。
自分の気持ち。
啓介も、尋ねてきたことだ。
私の気持ちは、一体どこにあるのだろう。

沈黙の中、この雰囲気に不釣り合いな炊飯器の『アマリリス』のアラームが、虚しく鳴り響いた。




次の日。
日曜日だというのに何の予定もない私は、昼頃まで居間でテレビを見ながら、ゴロゴロしていた。
横になっている私の顔のすぐ傍に、携帯電話が黙り込んだまま、虚しく転がっている。
やっぱり啓介からの連絡は無かった。当然か…。
私は気落ちして、深いため息をつく。

「ヒマがあるなら、家事手伝ってよ」

ギスギスとした母の声が、キッチンから飛んで来る。返事をするのが面倒になり、むっくりと起き上がり、携帯を取り上げる。
キッチンの脇を抜けるとき、母が目ざとく、「どこ行くのよ?」と呼び止める。

「ちょっと出掛けてくる」

目的は無いけれど、このまま一日中、母の小言を聞いているくらいなら、あてもなく街をブラブラした方がマシだ。
私は母の顔を見ずに居間を出て自分の部屋へ向かった。



手早く身支度をして、母の冷たい視線から逃れるように家を出た。
外の空気は冷え切っていて、時折我慢できないくらい冷たい風が吹き付けてくる。

ああ、だから冬は嫌いだ。
心まで冷え切ってしまうような気がするから。

私は、不意に、昔の事を思い出す。

あれは、まだ、学生の頃。
俊平と、学校近くのあの公園でベンチに座り、話し込んでいた時。

あの時も、確か冬で、私達は自販機で買ったホットコーヒーを手に夢中で話していた。
木枯らしが私達の間を通りすぎた時、私が言ったのだ。

−−冬は嫌いだ。

俊平はどうして?と尋ねてきた。
私は腕を摩りながら、答えた。

−−だって、寒いじゃん。我慢出来ないよ。

彼は、俺は好きだけどな、と呟く。
そして、不機嫌そうな私に、彼は笑ってこう、言った。

−−冬なら、こうやって身体を寄せ合っても、暑苦しく感じないだろ。

あの時感じた、彼の温度。
今では幻のように遠く感じる。思い出すのが、困難なほどに…。


ぼんやりしながら駅に着くと、電車に乗り込み、空いている席に座った。
さて、どこに行こうか…。
行き先を考えながら、窓の外を見遣った。
外に広がる青空を眺め、この空はどこまで繋がっているのだろうと、つまらないことを考え始める。

『あのひと』のところまで、続いているのだろうか…。

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