《MUMEI》
日曜日の悲しみ
少し間を置いて、「元気そうだね」と言葉をかけると、俊平は軽く笑った。

「それだけが取り柄だからね」

その返事に私も笑う。それから、「カメラ、続けてるの?」と尋ねると、俊平は頷いた。

「学校を3年前に卒業した後、今はマンハッタンの小さい出版社と契約して、写真撮ってる」

しがない雇われカメラマンだよ、と俊平は疲れたように笑った。私は驚く。昔の彼なら絶対に見せないような顔だったからだ。
私はそれに気付かないフリをして尋ねる。

「日本へは、仕事で?」

俊平はまた頷いた。

「日本舞踊の先生を取材するために帰国してね。おととい大阪に着いて、その足で京都に行ってきた。昨日の夜、ようやく東京の実家に帰って、さっきまで爆睡してたんだ」

壮絶なワークスケジュールに、かける言葉も浮かばない。黙っている私に、彼は「なーんて」と茶化すように微笑んだ。

「仕事が名目だけど、本当は他の理由があったんだ」

他の、理由?
私の心臓が一度、大きく鳴った。
俊平は私から目を逸らし、「下心、って言った方が正しいのかな」とぼやきながら、窓の外を見遣る。

下心。
他の理由。

一体、それは。

尋ねる前に、彼は私を振り返り、はっきり言った。

「瑶子を、迎えに行こうって」

私は目を見開く。彼は優しく笑った。

「5年前、約束しただろ?」

突然、昔の俊平の声が、頭の中に響いた。

−−必ず迎えに行く。嫌がっても絶対、連れていくから…。

あの言葉…。
そのことを、あなたは言っているの…?

あれは、感情的になった幼い私を宥めるための、単なるリップサービスだと思い込んでいた。
だってあの時、『待っててくれ』とは言わなかったから。
だから、私は、俊平を忘れようと、ずっと、努力してきたのに…。

言葉が出て来なかった。彼は俯いて、自分の指先を見つめる。

「今日、ここに来れば、会えると思った。何か分からないけど、必ず瑶子に会えるって、確信してた」

決まってたんだ、このテーブルで、俺達がまた再会することは。
…きっと、あの日から。

彼の力強い言葉が胸を打った。途端、視界が滲み出す。だけど、『聞いてはいけない』、と私の中の私が、激しく忠告する。

戻れない。戻れる筈がない。
私には、啓介がいる。婚約しているのだ。
それに、俊平とはもうずっと昔に、全て終わったのだから…。

しかし、心のどこかで、『俊平の気持ちに応えろ』という思いが沸き上がっているのを感じた。

啓介は、結婚を考え直そうかと言った。
それが本心かどうかは、分からない。
けれど、ぎくしゃくしたまま、円満な家庭を築いていけるの…?

仕事も辞めてしまった今、私に残されたのは、ちっぽけな、この、身体だけ。

このまま俊平に、人生を委ねてしまえば…。

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