《MUMEI》

私は、啓介といずれ結婚する。ちょっとゴタゴタしてしまっているけれど、それは私がどうにかする。

だから、俊平にはついていけない。

そんなことを、わざわざ伝えに行くの?
俊平への言葉を見つけられず、私は瞼を閉じた。


−−だったら、もっと自分の気持ちを言いなさいよ……私はこう思ってて、こうしたいのって、ちゃんと口に出さなきゃ伝わらないわ。


母が私に言った言葉を、思い出す。
ようやく、分かった気がした。

彼に、伝えるべき、言葉。
それは、そう、あの一言だけ。

バラバラだった思考が、不意にキレイに纏まっていくような、そんな感じがした。

私は立ち上がり、チェストの一番上の引き出しを引いた。
たくさんの思い出の品が納められている。

小学校の運動会で獲得した、金色のメダル。中学生の頃、友達からプレゼントされたマグカップ。家族旅行で買い集めた、ご当地キーホルダーの山。

そして…。

鮮やかなイエローのパッケージ。その箱の下段には、シルバーの格子柄のアイコンと、正面に書かれた、筆記体の英字。

『Week−end』

その小さな箱を手に取ると、バッグの中にそれをほうり込み、足早に部屋を立ち去った−−−−。




最寄駅に着き、流れ込んで来た電車に飛び乗る。途中駅で違う線の電車に乗り換えて東京駅に向かう。
電車から飛び降りると、脇目も振らず一目散に、成田エクスプレスが停車しているホームへと駆け出した。


ああ、神さま。
どうか間に合いますように。
俊平と、最後に話が出来ますように…。

私、まだ、何も言ってないんです。言いたいこと、伝えたいことを何一つ…。

お願いですから、神さま…。


そう、祈りながら。

発車ベルが鳴りしきるホームで、私は電車に滑り込んだ。



私の想いは、ちっぽけなプライドや、つまらない常識に囚われ、何度も見失って、そして彼のことも、見失った。

怖かった。
自分のありのままの気持ちを、さらけ出すことが。
それを拒絶された時、受けるであろう、心の傷の深さが。

私は、逃げていた。
自分の気持ちから。彼の想いから。
そして、5年前の私から。

けれど、今、心の中で飛び交う様々な想いを凌駕して、一つの『確かな』気持ちが、私を突き動かしていた。


行かなければ、と。
今、俊平と、会わなければ、私は一生後悔することになる。絶対に−−−。



成田空港は、酷い混雑で軽く目眩がした。
私はひとが溢れているロビーを走り抜け、俊平の姿をさがす。いない。私は自分の腕時計を見た。
16時55分…飛行機が飛び立つまで、まだ時間はある。
間に合ったのだと、心の中で安堵しながら、ぐるりと周りを見渡した。

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