《MUMEI》 耳を離し、私はドアを開いて、廊下の様子を確認した。誰もいない。それからドアを閉める。一つ、ため息をついた。 …さてと。 私はピアノの方へ振り返った。 「先生、行っちゃいましたよ」 私の言葉に、隠れていた彼は上履きを持ったまま、ゆっくりと姿を現した。そして大きく伸びをする。 「いやぁ、助かった!サンキュー!」 「アイツ、しつこいんだよ」と、のんびりした口調でそう言い、豪快に笑う。『アイツ』というのは間違いなく、担任のことだろう。 私はそんな彼を冷めた目でじっと見つめる。さりげなく、その手にある上履きをチェックする。 この学校は学年毎に、3色のカラーで区別されていて、上履きやジャージの色を見れば相手が何年生であるのか分かるようになっている。ちなみに現在の3年生がグリーン、2年生がブルー、そして私達一年生は、レッドが学年色だった。 彼の上履きのカラーは、グリーン。つまり3年生…私の2コ上だ。 私は半眼で彼を睨んだ。 「一体どういうつもりですか?」 わざと刺を含んだ声で尋ねると、彼は驚いて私の顔を見た。自然と私と目が合う。 その、顔に一瞬、目が奪われる。日本人離れした、整った顔立ちだ。 こんなきれいな顔の男のひとを、今まで見たことがない。 …いや。 どこかで、見た、気がする…。 必死に記憶を呼び覚まそうと、私が黙り込んで思案していると、彼は少し考えるように首を傾げてから、訝しげに尋ね返してきた。 「どういうつもりって、何が?」 あっけらかんとした物言いに、私は逆にビックリした。つい素っ頓狂な声を上げてしまう。 「何が?じゃないですよ!一体、何なんですか、突然押し入って来て!!」 噛み付きそうな勢いで言い返すと、彼は「ああ!」と思いついたように声を上げる。 「ゴメンごめん。レッスン中に邪魔して悪かったよ」 そしてまた、ヘラヘラ笑っている。 変なひと。 誠意の見えない態度にムカついたが、もうこれ以上関わりたくなかったので、彼を無視してバイオリンの手入れを再開した。 すると彼は、私の作業を覗き込みながら、尋ねてきた。 「あれ?もう帰るの?」 「帰ります」 「練習は?終わり?」 「2時間、ぶっ通しでやりましたから」 次々と投げ掛けてくる質問に対し、淡々と簡潔に答えた。ああ面倒臭い。さっさと出て行けばいいのに。 「2時間も!?休みなしで!?」 私の心情を覚っていないのか、彼は、「タフだなぁ!」とケラケラ笑いながら言った。その笑い声がまたムカついて、黙り込む。うるさいな。タフで悪かったね。 心の中で毒づきながら、乱暴な仕種でバイオリンをクロスで磨いた。 前へ |次へ |
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