《MUMEI》

呆然としている私に、彼は悪びれず答えた。

「だって、名前聞かれなかったし」

その返事に私は驚くとともに、少し呆れる。
彼が自分の生い立ちや才能に鼻を掛けていないということは有名だったが、でも彼の話し振りから、『鼻に掛ける』とかそういう以前に、これではただ、己に無頓着だというだけだ。

ため息をつく私に眉をひそめたものの、如月先輩は呆れたように「慌ただしいヤツだなぁ…」とぼやいたあと、「そんなことより」と話を変えた。

「今の、結構良かったじゃん。しっかりリズム取れてたし。即興も出来るんだね」

「意外だけど」と付け足した。私は首を傾げる。

「意外っていうのは?」

尋ねると、先輩は「だってさ〜」とだらけたような口調で言う。

「あんた、パッと見、すっげー真面目そうじゃん。譜面に忠実っていうか、譜面通りの演奏しかしません!て言いそうで。だから、アドリブなんて興味ないんじゃないかって思ってた」

私は呆れた。

「入試の実技で、即興もありましたから」

そう答えた。

この音楽コースの一般入試は、面接しかない推薦入試とは異なり、一般試験と実技試験の二つを受けなければならない。一般試験は国語や英語など普通科目の試験で、実技試験は必須科目のピアノと専攻科目がある。

実技では、学校から出された課題曲と自由曲の2曲と、その他即興演奏も課題とされていた。

即興は得意ではなかったが、試験のために毎日ジャズCDを聴いたり、アドリブの譜面を買って練習して何とかパス出来たのだ。

簡単に話すと先輩は急に目を輝かせ、身を乗り出してきた。

「あんた、一般でここに入ったの!?」

先輩の勢いに押され、私は少したじろぎながらも頷いた。すると彼は、「すっげー!!」と感心したように声を上げる。
私は、固まった。

すっげー?
どこが?

訳が分からないという私を無視して、先輩は興奮気味に言った。

「音楽コースって、ほとんど推薦で生徒取ってるじゃん。一般は倍率も高くて、『狭き門』って言われてる中で、合格したんだろ?それって凄いじゃんか!」

私はまだよく理解出来ず、とりあえず「…そうですか?」と弱々しく呟いた。先輩は大きく頷く。

「ここのヤツ等は、みんな親の七光りとかコネで入ったっていうのに、なーんかエラソーにデカイ面してさ。頭来てたんだよね。たいして才能もないくせに」

意外だった。
如月先輩の口から、そんな言葉が飛び出すなんて。
彼が他の音楽コースの生徒達のことを、そんな風に見ていたなんて、思っても見なかったから。

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