《MUMEI》
市立探偵
市役所は川の近くにあり、鮮やかな緑に囲まれていた。
建物は古い。役所が金ピカでは説得力に欠けるだろう。
垂れ幕。石碑。郵便ポスト。街の地図。
ごく普通の市役所の風景。広い駐車場はほぼ満車で、駐輪場も一杯だった。
福祉課では、若い女性職員が、歩いている男性職員を追いかけて後ろから文句を言っている。
「もっと親身になって相談に乗れないんですか?」
短めの黒髪がよく似合う。ノーメイクに近い綺麗な肌。地味な制服だがスタイルがいいから目を見張る。
「それに所持金が1万円切ってるのにひと月待てって矛盾してませんか?」
「矛盾?」
立ち止まり、振り向く男性職員に、彼女は高い声でまくし立てた。
「だってそうじゃないですかあ。1万円でどうやって生活するんですかあ。督促は迅速なのにお金出すほうはちんたらで、それでは市民は納得しませんよう」
男性職員は苦笑した。
「おいおい、君はどっちの味方だ?」
「あたしは市民の味方ですよ」
「市民の味方ねえ」
男性職員は嘲笑を浮かべると、これだよ、というポーズを取って、歩いていった。
「何ですかそのポーズは?」
しかし返事をしないまま男性職員は行ってしまった。彼女は背中に言葉を投げた。
「そんなことだからお役所仕事なんて揶揄されるんですよう!」
周囲を見ると職員の白い目が一斉に注がれていた。
彼女はそそくさとその場から離れるが、独り言は続いた。
「あたしはズレてないよ。みんなが庶民感覚からズレてんのよ。それに気づかないなんて怖いよ」
会議室では、朝松市長を真ん中に、市役所の柴原部長、若い片岡市議が、面接官のように並んですわっていた。
市長は机の上の書類に目を通すと、部長に聞いた。
「麻央光。彼女が適任だと?」
「はい適任です。前に市役所に勤めなかったら何になりたかったかという話になって、彼女は探偵になりたかったと」
「ほう」
「探偵ですか」
ユニークな答えに、市長と市議は興味を持った。
「仕事のほうはどうなのかね?」
「はい。彼女の前で市民を軽く見る発言をする職員がいると、彼女はそのう、キレます」
「キレる?」
市長と市議は同時に言った。
「はい。よく男性職員と口論になり、業務を混乱させています」
市長はなぜか笑顔になった。
「適任じゃないか」
「私もそう思います」柴原部長は照れながら答えた。
ノック。
「どうぞ」
「失礼します」
俯いた感じで麻央光が部屋に入った。
「あ、市長」
いよいよ万事休すとばかり、彼女は皆と目を合わせられない。
「初めまして、片岡です」
光は名刺を受け取った。市議会議員。彼女はこの世の終わりのような顔をして唇を噛んだ。
柴原部長は気の毒になり、言った。
「麻央さん。きょうは悪い話ではないんだよ」
「そうなんですか?」
光は、ようやく顔を上げた。市長は笑いながら質問する。
「君、探偵になりたかったんだって?」
光は白い歯を見せて照れながら、両手を振った。
「それは、忘れてください」
その愛らしい表情としぐさに、市長と市議は魅了された。
「実は君にねえ、市立探偵になってもらいたいんだ」
市長の言葉に、光の顔が曇った。
「私立探偵…。つまり、解雇ですか?」
「いやいやいや」
三人は慌てて否定した。
「君みたいな優秀な人を辞めさせるわけないでしょ」
「あたし、優秀じゃないですよ」
澄んだ瞳。謙虚な態度。市長は光のことを心底気に入ってしまった。
「決定だ。彼女にしよう」
「決定ですか?」柴原部長が笑みを見せた。
「ほかに考えられない」
しかし当の光は何のことか意味がわからない。
「私が説明します」
片岡市議が凛々しく話し始めた。
「我が市では、防犯対策を強化することになりました。内容もユニークで、探偵のような仕事もします」
市長はメモ用紙に何か書くと、光に見せた。
「市立、探偵…?」
「おめでとう」
「はあ…」

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