《MUMEI》
逆ギレ
光は緑茶を飲みながら考えた。
バスタオル一枚でドアを開けたのも無謀だが、犯人にいたずらされて感じてしまうというのは、理解できなかった。
「明枝さん、お兄さんも怒らないで聞いてくださいね」
二人とも無言だ。
「さっき明枝さん、嬉しかったって言ったけど、どういう心理ですか?」
「何でそんなこと聞くんですか?」
哲朗が口を開いたが明枝は兄を怖い顔で睨むと、光に言った。
「手足縛られて無抵抗だったから、どうにもならなくて」
明枝は赤い顔をして唇を噛んだ。
「でも、電マに変なもん装着して、あれは卑怯よ」
「変なもの?」
「そこまで聞きます?」
光は慌てた。
「だから、嫌なことは答えなくていいですよ」
自分に気遣う光に、明枝も気を遣って答えた。
「不覚にも、ヤバいことになっちゃったんで、許してくださいって必死にお願いしたら、許してくれたから」
「許してくれたんですか?」
「根っからの悪人なら、あたしはもっとひどいことされてただろうし…」
「タコ!」
「うるさいなあ!」
「うるさくない!」
「お兄さん」
「兄貴は男だからわからないよ。イカされたら今頃寝込んでるよ。女にとっては意地悪されちゃうのと許してもらえるのでは、天地の差だよ」
哲朗は頭を振ると、光を見た。
「これでわかったでしょ。妹がこんな調子じゃ、警察に訴えても無罪ですよ無罪」
「でも、あたしが心配なのは、憎き犯人がこれに味をしめて、同じような犯行を繰り返すことです。第二第三の被害者が出る前に、犯人を捕まえたいんです」
明枝はポカンとした顔で光の力説を聞いていた。
「今回は未遂で済みましたけど、次からはわからないじゃないですか」
「未遂で済んだ?」
哲朗の言葉に、光は心底焦った。
「違います、違います、そういう意味で言ったんじゃありません」
しかし哲朗の怒りがおさまらない。
「未遂で済んだ?」
「すいません。でもあたしは犯人を憎む気持ちはお兄さんにも負けていません」
「未遂で済んだ?」
バン!
哲朗はお膳を叩くと、怒った顔で言った。
「帰れ」
「ちょっと、揚げ足取らないでくださいよ」
光は困った。
「帰れ」
助けを求めるように明枝の顔を見たが、面倒くさそうに囁いた。
「いいよ兄貴。電マも知らないこの人に、あたしの悔しい気持ちなんかわかるわけないよ」
光は体が震えた。
「ネチネチネチネチネチネチ!」
いきなり言い返す光。目がすわっている。
「じゃあ市役所に連絡なんかしないで、自分で犯人捜して復讐でも何でもすればいいでしょ!」
今度は哲朗がびっくり眼だ。
「帰れなんて言われなくてもこっちから願い下げよ」
光は緑茶を一気に飲みほすと、グラスをお膳の上にガンと置いた。
「失礼します!」
光は哲朗を睨むと、部屋を出た。
残された明枝と哲朗は、顔を見合わせた。
「何逆ギレしてんのあの人」
「さあ」
市役所に戻った光は、会議室で柴原部長と会った。
「キレちゃダメでしょう」
「だって、人の揚げ足取って、ネチネチネチネチ。殴らなかっただけ偉かっですよ、あたし」
冗談で誤魔化そうとしたが、部長は真剣に言った。
「妹が見知らぬ男にイヤらしいことされたんだよ。今は普通の心理状態じゃないと思わなきゃ」
言われてみればその通りだ。光は深く反省した。
「申し訳ありませんでした」
頭を下げる光に、柴原部長は優しく言った。
「お兄さんも謝ったら許してくれるよ。それより復讐を実行したら、それは犯罪だからね」
確かにそうだ。それに、もしも犯人が凶悪な男なら、復讐するつもりが返り討ちもあり得る。
そうなれば妹の明枝も危ない。同じ男に監禁されて、また屈辱的なことをされたら、立ち上がれない。
あれこれ考えていた翌日。光のもとへ電話が入った。
兄の哲朗からだ。
「麻央さん、昨夜はすいませんでした」
光はホッとした。
「いえいえ、こちらこそ」

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