《MUMEI》

光は、兄の哲朗と駅前で待ち合わせた。
「妹がいないところでお話したいことがある」
兄にそう言われたら、会わないわけにはいかない。
哲朗は車で来た。なかなか綺麗なワゴン車だ。
「どうぞ乗ってください」
人懐っこい笑顔。光は少し警戒したが、疑っても失礼だと思い、助手席に乗り込んだ。
グレーのスーツでビッと決めているパンツルックの光を見て、哲朗は笑顔で言った。
「何か、刑事さんみたいですね」
「探偵のつもりでこういう服装にしたんですけど」
「ハハハ」
シートベルトをする光に、哲朗は言った。
「密談するときは車の中がいちばんなんですよ。ある意味、絶対外部に漏れませんからね」
「なるほど」
車は静かに発進した。
「喫茶店だと、だれが聞いているかわかりませんから」
「そうですね」
哲朗は古い、小さな倉庫の前に車を止めた。見ると、有限会社の看板がある。
「会社の前に止めて大丈夫ですか?」
心配する光に、哲朗は笑って答えた。
「僕の職場です」
「そうなんですか?」
光は驚き過ぎるのも失礼だと思い、倉庫の外観を見ながら聞いた。
「お仕事は何をなさっているんですか?」
「看板屋です」
「自営ですか?」
「はあ、まあ」
「凄いじゃないですかあ、その若さで社長さん?」
哲朗は誉められて照れた。
「いやいや」
「その若さって、お兄さんの年齢知らないですけど」
「30です」
妹が19。年の離れた兄妹だったのかと、光は思った。哲朗は自分よりも6つ年上になる。
「で、妹さんがいないところで話したい話とは?」
光が本題に入った。哲朗は真顔で話し始めた。
「前にこういうことがあったんです。明枝がアパートで一人暮らしを始めたばかりの頃なんですけど…」
哲朗は回想シーンを頭に思い浮かべながら話した。
哲朗が明枝のアパートへ行くと、ピザの宅配が玄関に来ていた。
中から明枝の声が聞こえる。
「ごめんなさいね、こんなカッコで」
「いえいえ」男は赤面した。
「ホントはラッキーと思ってるんでしょう」
「ちょっと」
「エッチ」
宅配の男は、廊下にいる凄い形相の哲朗に気づき、そそくさと立ち去った。
「どうしたの?」
明枝は体半分外に出た。哲朗と目が合う。白いバスタオル一枚だ。
「ヤバ」
哲朗は怒り心頭で歩いてくると、玄関に入った。
「おまえ何だその格好は?」
「シャワー浴びてたら来ちゃったの。待たせたら悪いから」
「バカヤロー!」
怒鳴られて明枝もムッとした。
「説教なら帰って」
「おまえニュース見てないのか。若い女性が犯罪に巻き込まれる事件がこんなに多いのに、もしものことがあったらどうすんだ!」
明枝は分が悪いと思い、頭を下げた。
「ごめんなさいお兄さん。もうしないから怒らないで」
哲朗も素直に謝られると弱い。
「まあ、反省してんならいいよ」
回想を終え、哲朗は光を見た。
「だから、今回の事件聞いたとき、不安に思ったんです。もしも挑発したことを妹が隠していたとしたら、法廷で優秀な弁護士に暴かれて、赤っ恥を晒すことになる」
しかし光は強く言った。
「裁判で争うかどうかは次の段階です。犯人逮捕が先です」
光は、何としても警察に言って捜査する方向のようだ。哲朗は車外を見た。
「何だあれ?」
「え?」
光は外を見た。何もない。また哲朗を見る。
「あっ…」
プシュー!
顔面にスプレーを噴射され、気を失ってしまった。
どれくらい眠っていたのだろうか。
静かに目を開けた。見覚えのない天井。哲朗が上から覗き込む。
「ん?」
倉庫の中。作業台の上だ。仰向けに寝かされていて、手足を拘束されている。
光は暴れた。
「んんん!」
しかも猿轡をかまされている。服は脱がされていない。
光は弱気な顔で哲朗を見つめた。手足を拘束されて無抵抗だと、人間は弱気になる。
逆に相手が無抵抗だと、弱気の哲朗も強気の顔だ。
「んんん!」

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