《MUMEI》
大嫌い
私は困惑し、メトロノームと如月先輩の仏頂面を見比べる。それに目ざとく気づいた佐野先輩は「しまっちゃえば?」と声をかけてきた。

「くれるって言ってんだから、遠慮しないで貰っときなよ」

私はチラリと如月先輩を見ると、彼は私を見つめて笑った。その笑顔を見て、私は何となく会釈した。

「それじゃ、お言葉に甘えて…」

恐る恐るメトロノームを受け取ると、如月先輩は「持ってけ、持ってけ」と投げやりな感じで言った。
手の平に、如月先輩のメトロノームを載せて、じっと見つめる。
あまり使っていなかったのだろう。それは傷ひとつ見当たらず、新品そのものだった。
私があまりにも真剣に眺めているものだから、それを見た小百合さんはケラケラと可笑しそうに笑う。

「珍しいモノでも見るような顔してる!」

そう言われて私は顔を上げて、「だって!」と言いかけた。

だって、信じられないんだもの。
如月先輩が、私にメトロノームをくれるなんて。
こんな風に、優しく微笑みかけてくれるなんて。

この間まで、雲の上のひとだと思っていたのに…。

「夢みたいなんだもの…」

ぽつりと呟いた台詞に、佐野先輩が大笑いした。

「夢みたい、だって〜!」

「可愛い〜!!」と変に高い声を上げた。馬鹿にした言い方にムッとしたがあえて無視し、私は小百合さんを見た。

「ゴメン、トイレ借りていいかな?」

別にトイレに行きたいわけではなかったが、何となく心を鎮めたくてそう聞いた。
尋ねると小百合さんは快く頷いた。

「あっちがトイレだよ」

キッチンの先のドアを指差してそう言ってくれたので、私は立ち上がり、トイレへ向かった。



トイレに入り、薄暗い洗面台の前に立つと、深いため息をつく。歪んだ鏡を覗き込みながら、考えた。

小百合さんが家を出て、同棲していること。
その同棲相手が一人暮しをしている、如月先輩だったこと。
如月先輩が親に内緒で学校を辞めたこと。
それが親にバレて仕送りを止められていること。

そして、二人は結婚の約束をしていること。

今日一日だけで、色んなことが分かったので、少し混乱していた。
私はまたため息をついた。

結婚。

私とは掛け離れている話のせいか、あまりピンとこない。

「結婚、ね…」

私はひとりごちた。
どうして、如月先輩は小百合さんと結婚しようと思ったのだろう。
小百合さんに対する、如月先輩の話し方や表情からは、彼女を大切にしているということは充分感じ取れる。

でも。

相手のことが好きだから、という理由だけだろうか。その理由だけで、本当に結婚しようと思ったのだろうか…。

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