《MUMEI》

別に、本気で、自分の将来のことがどうだとか、考えたことはない。

だって、私の人生は、母の思い通りだから。そこに私の意思は存在しないけれど。

でも、今は、小百合さんを傷つけるためなら、《一途に夢を追いかける少女》の演技だって出来る。


「私は、如月先輩みたいには、なりたくない」


小百合さんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
私は冷たい目を彼女に向けて、言い放つ。

「先輩はね、将来を期待されてたの。みんなの憧れだったの。あのまま学校に居れば、ゆくゆくは有名な音楽家になってた筈なのにね…」

小百合さんは私を見つめたまま、涙を流し続けていた。その、悲しい顔が煩わしく、私は馬鹿にしたように、鼻をならした。

そして、本当に、冷え切った声で、言った。

「如月先輩の将来を、小百合さんが、ぶち壊したんだよ」

私の言葉を聞き、小百合さんは顔を覆って泣き崩れたのを見届けて背を向ける。

どう?苦しい?
私の痛みが、分かった?

如月先輩への淡い恋心に気づく前に、小百合さんの《無邪気》という名の悪意によって、粉々に壊されてしまった、私の心の痛みが。


そうやって、ずっと、苦しめばいい。


この時、私は間違いなく『悪魔』になっていた。小百合さんを傷つけ、嘲笑う。
ひとの心の痛みを知らない、醜い『悪魔』に−−−。




家に帰り、自分の部屋に閉じこもった。

小百合さんを傷つけた。
それは、小気味良かった。

あの時だけは。

私は制服のままベッドに倒れ込む。
言いたいことを言って、スッキリした筈だった。なのに、胸の中には重苦しい何かが巣くっていて、私を解放してくれることはなかった。

自己嫌悪。

その言葉がピッタリだった。

小百合さんのあの泣き顔を思い出すと、もう笑えなかった。

モヤモヤした気持ちが嫌で、身体を起こすと、机の上に置いてある白い箱に目がいく。
真っ白な箱の正面には、メタリックブルーの筆記体。

歩さんからプレゼントされた香水−−−アミアイレだ。

−−気分を切り替えてくれるシャキッとした香りだから、リフレッシュにもなるし…木の香りは温かみがあって、安らげるから、モヤモヤした時、使うといいわ…。

歩さんの優しい声が、蘇ってくる。
私は引ったくるように箱を掴んで、ボトルを取り出し、自分の腕に香水を吹き掛けた。

爽やかな、優しい香りが立ち込める。

そのアミアイレの香りの中で、私はゆっくり目を閉じた。

瞼の裏に浮かんだ顔は。

天使みたいに屈託なく笑う、彼女の美しい顔。聞き惚れるような、可愛い声で、彼女は言うのだ。

「いい匂いがする」、と。

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫