《MUMEI》

私は、戸惑いながら、部屋の中央へ移動する。続いて、佐野先輩も部屋に入り、ドアをゆっくり閉めた。そして如月先輩に、「おい…」と声をかける。

「ナナちゃん、連れてきたよ…」

その言葉に、如月先輩はビクリと肩を一度揺らして、それからゆっくり顔を上げる。その、疲れ切った瞳を見て、私は言葉を無くした。

相変わらず美しい、顔立ち。
でも、そこには、いつものような自信と余裕は感じさせなかった。

頼りなさそうな、表情。虚ろな瞳。

いつか見た、新聞の写真の、あの『如月 宏輔』と同一人物とは、思えなかった。

呆然としている私に、如月先輩は「久しぶり…」と呟いた。

「今日も、レッスンだったんだろ?ゴメンね、いつも巻き込んで」

そこまで言って、言葉を止めた。私は首を振る。

「大丈夫ですか…?」

尋ねてみると、如月先輩は力無く笑い、「何とかね」と答える。とても悲しい声だった。
佐野先輩は如月先輩に近寄り、「さっき、ナナちゃんと話してたんだけど…」と切り出した。

「俺、手伝うから…サユリちゃんと」

そこまで言ったとき、如月先輩が「あいつ、言ったんだ」と、急に遮った。思わず、佐野先輩は黙り込む。
如月先輩はぼうっと佐野先輩を見上げて、続けた。

「親がウチに来る、前の夜。あいつ、ゴメンねって…俺の人生、めちゃくちゃにしてゴメンって」

胸に激しい痛みが走った。
小百合さんが如月先輩の人生をめちゃくちゃにした、と言ったのは、私だ。彼女は、きっと、深く傷ついたのだ。私の意地悪な言葉によって。
如月先輩は俯いた。

「俺、そんな風に思ったこと、一度もなかった。なのに、あいつは俺に、そういう引け目を感じてたんだ…ずっと」

声が震えていた。如月先輩は続ける。

「…俺は逮捕されても、訴えられても構わない。そんなの、たいしたことない。それより、あいつが…あいつが、あの変態オヤジのところにいるって…今も、これからもあの男と暮らすんだって思ったら…堪えられない…たまんないよ」

如月先輩の言葉は重みがあって、その一言一言が私の心を押し潰すように、重なっていった。
如月先輩は小刻みに肩を震わせる。

「あいつが、笑っていてくれたらそれでいい。あいつの笑顔を、守ってやりたいだけなのに…俺にはもう、それすら出来なくなる…」

泣いているのかもしれない。
佐野先輩は如月先輩から目を逸らした。かける言葉が見つけられないのだろう。

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫