《MUMEI》 いけない願望明枝が顔を上げた。 「やっぱりあたしに責任があるから、あたしが囮になります」 「明枝チャンに責任なんかないよ」光が優しく言った。 「でも…」 明枝が何か言おうとしたが、光がキッパリ言った。 「わかりました。あたしがやります」 「光が?」 完練は驚いたが柴原部長は笑顔だ。 「やってくれるか?」 「がくっ!」 明枝は大袈裟に前のめりにこけて見せた。 「部長さん。君にそんな危険な仕事はさせられないっていうのが上司でしょう?」 「警察に言うのは君も反対してたじゃないか」 光はやや呆れ顔だが、真顔で言った。 「いずれにしても、明枝チャンにはやらせられない。あたしなら、いざとなれば」 光が両拳を握るポーズをした。 完練はいちばん慎重だ。 「下見はする。作戦も練ろう。安全第一だ」 完練と光が顔を合わせた。明枝は胸が痛んだが、穏やかに言った。 「じゃあ、その役は、光さんに譲ります」 明枝は熱い眼差しで光を見た。 実行前日。 完練は愛車ファーゴの中で思索していた。 主犯格がヤクザもんであれば簡単には行かない。 明枝の先輩も自首させるしかない。罪は罪だ。見逃せない。 完練はシートに深くもたれかかった。目を閉じる。思索するはずが、思考はまた江戸時代に飛んだ。 早朝。静かな湖。深い林。やや霧が出ている。 木の上には黒装束に身を包んだくの一が、鋭い眼光で林のほうを見ている。 「きょうこそ女の敵ドエス魔人を成敗してくれる。奉行所が手を打たなくても、この明枝様の目の黒いうちは、あんな怪物に好き勝手なんかさせないんだから」 明枝はじっと待った。 一人で戦うのは危険な賭けだ。無謀かもしれない。 捕まれば容赦ない。くの一は哀願も屈服も許されない。もちろん何されても哀願する気はないが、問題はあの恐怖の舌技だ。 仲間のくの一も二人屈辱を味わった。つまり、くの一が屈服してはいけないのを百も承知で、容赦なく秘部を攻めまくる。仲間は無念にも落とされてしまった。 「あたしが仇を討つわ」 明枝の目が光る。少なからず男には、女に意地悪をしたいという、いけない願望がある。 ならばドエス魔人は、人間の男のよこしまな願望と危ない妄想が生んだ象徴的怪物か。 「女をそういう風にしか見れない愚かな男たちの欲望も、あたしが粉砕してやるわ!」 林が動いた。ドエス魔人が現れた。 「大きい!」 しかし怯んではいけない。魔人はまた獲物を探しに山道へ行くつもりか。 明枝は木から飛び降りた。 「およよ?」 「ドエス魔人。貴様の選択肢は二つ。色魔界に今すぐ戻り、二度と人間界に来ないか。それとも、ここで死ぬか」 ポカンとした顔で聞いていたドエス魔人は、大笑いした。 「がっはっはっなっはっは!」 「何がおかしい!」明枝が睨んだ。 「だってお嬢。そんな生意気言って僕に捕まっちゃったらどうするのう?」 「そんなドジは踏まない」 「最初に言っとくけど容赦はしないよん」 「それはこっちのセリフだ!」 手裏剣を投げる。しかしすべて舌で弾かれた。 「まさか!」 明枝は焦った。小刀を出す。 「覚悟!」 切りかかる。しかし大蛇のような赤い舌が襲いかかる。手首を巻かれた。 「しまった!」 捻る。 「あああ!」 たまらず小刀を落としてしまった。するとまた別の舌が伸びて来て思いきりボディブロー! 「あああん!」 明枝は両膝をつく。そこへさらに舌が急襲。手足をぐるぐる巻きにされ、空中に上げられてしまった。もがいてもどうしようもない。 「離せ、離せ!」 「ぐふふふ」 ドエス魔人は天を仰いだ。 「哀願ターイム!」 明枝は強気の姿勢を崩さないが、内心はもちろん慌てていた。 「お嬢。哀願したら許してあげるよん」 「だれが哀願なんかするか!」 「せっかくのチャンスを無にしたね?」 再び天に向かって叫ぶ。 「大義名分完了!」 明枝は、背中に冷たい汗を感じた。 前へ |次へ |
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