《MUMEI》

廊下を歩きながら帽子を被り、玄関で靴を履いて、靴箱から自分のスニーカーを2足取ると、それもトートバッグに入れた。そこで再び、母に捕まる。

「いい加減にしなさい!!どこへ行くつもりなのよ!?」

私は母の顔を真正面から見据えて、「どこだっていいでしょ?」と、素っ気なく答えた。私の生意気な返事に、母もついに頭にきたらしい。

「レッスンもしないで遊び歩くなんて、あなた、自分の実力が分かってないの!?あなたはね、ひとより努力しなきゃいけないのよ!!」

金切り声で喚き散らす。耳がキーン…と痛くなった。

また、その話か。
母は口を開けば、そのことばかり。
いい加減、うんざりだった。

私は馬鹿にするように肩を竦めて見せてから踵を返し、玄関のドアを開けようとすると、母の叫びが、それを阻んだ。

「今のままじゃ、夢は叶わないわよ!?」

私は、動きを止めた。

夢。

私が止まったことに、母は少し安堵したのか、声を小さくした。

「もっと、もっと努力しなきゃ…プロのバイオリニストの道は険しいんだから。お願いだから、これ以上、お母さんを失望させないでちょうだい」

ドアノブを握る手が、震え出す。寒いわけではない。
腹の底からふつふつと、沸き上がってくる激しい感情が、そうさせていた。

夢。

もう一度、胸の中で繰り返す。

夢、だって?

私は肩越しに振り返った。そして、首を傾げる。

「いつ、私がバイオリニストになるって言った…?」

私の問い掛けの意味が分からなかったのか、母は眉をひそめた。私は身体ごと母の方へ向き直り、しっかり彼女の顔を見つめた。
そして、言い放つ。

「私、プロになりたいなんて、言った覚え、ないけど」

母は、目を見開いて、唇の端を引き攣らせた。

「なに、言ってるの?」

理解出来ないと言わんばかりに、母は声を震わせた。しかし、私は躊躇しなかった。

「私の夢って、いつも言ってるけど、ホントは違うよね?お母さんの夢だったんでしょ?」

母は何も答えなかった。私は続ける。

「自分で夢を叶えられなかったからって、子供にそれを押し付けるなんて、身勝手だと思わなかったの?ホント、呆れる。私、お母さんの操り人形じゃないんだよ?」

そこで、一息ついてから、こう、言った。

「お母さんは、ラクでいいよねぇ。お母さんの夢なのに、実際に努力するのは私だもんね」

次の瞬間。

パンッと景気のいい音とともに、私の左頬がじんわりと痛みだした。
母が、殴ったのだ。
彼女はわなわなと肩を震わせていた。
そして、涙目で私を睨むと、叫ぶように言った。

「勝手なことばかり言って!!あなた、何様のつもりなの!?」

私は殴られた頬を手の平で押さえて、母の顔を見つめた。

勝手なことばかり…?
私が?

何様って…?

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