《MUMEI》 世界の文学賢吾は増伊の勢いを交わすように、おもむろに聞いた。 「増伊さんは古今東西の名作を読んでますか?」 増伊は照れ笑いを浮かべ、頭をかいた。 「いやあ。西洋文学って苦手なんですよね」 「もちろん読書の喜びを知るためには、自分の読みたい小説から読んだらええ。しかし増伊さんみたいにプロを目指している人間は少しちゃうよ」 増伊は真剣に聞く姿勢に変わった。れおんも増伊の原稿を膝の上に置いて聞き入る。 「世界の文学は面白いだけやない。正直難しい。エベレストを登山するようで、読破するのは大変なんや。メッセージは深い。せやけど2世紀もの歳月、世界中で読まれてきた名作や。読んで血肉にすれば、武器になるよ」 増伊は不思議に思って質問した。 「あの、ドクターは文学に詳しいんですね」 「わいをだれ思ってる?」 増伊はれおんを見た。彼女の膝の上に自分の原稿があるのに気づいた。 「あ、読んでくれたんですか?」 「はい」 れおんの笑顔が早くも引きつっている。 「どうでしたか?」 緊張の一瞬。れおんは言葉を選び、慎重に話した。 「感想というより、質問をしてもいいですか?」 「はい」 無表情に変わる。顔が怖い。 「徹さんと彼女が旅館で出会って、浴衣で卓球をする場面がありますよね?」 「あります」 目が真剣だ。心持ち前かがみになる。 「二人は友達同士でもないのに、負けたほうが何でも言うこと聞くって賭けるんですよね?」 「スリリングでしょ?」 増伊が笑顔で迫る。れおんはそれには答えずに質問を続けた。 「でも、なぜ彼女はわざと負けたんですか?」 「それは徹を愛しているからです」 れおんは首をかしげた。意味がわからない。 「でも、彼女は浴衣でしたよね。何でも言うこと聞くって言って、この場で裸になれって言われたらどうします?」 「徹がそんなこと言うわけないじゃないかあ!」 「わあ、ごめんなさい」れおんは両手で頭を庇った。 「増伊さん」賢吾が助ける。 「はい」 「作者本人がキャラに対して感情移入するのは当たり前や。しかし読者はちゃう。好みがあるからな。読者に、いかに早い段階でキャラを好きにさせるか。これは作者の腕や。つまり、作者と読者の温度差を埋めて一緒にラストまで走れるか。ファーストコンタクトが大事なんよ」 増伊アナンは興奮した顔で鞄を掴んだ。 「温度差…ファーストコンタクト。ちょっと待ってください」 急いでノートとペンを出す。勢いで鞄の中から本が3冊飛び出した。 「わあああ!」 「拾います」 れおんは屈んで本を取ろうとしたが、タイトルを見て手が止まった。 『美人OLくすぐり地獄』 『寸止めテクでナース失神』 『美しき姫、残酷拷問』 増伊は慌てて拾った。 「何読んでんや毎日」 「違いますよ。友達が結婚して、奥さんに見つかるとまずいから、預かってくれって頼まれたんです」 増伊は必死の目でれおんを見た。 「信じてください」 「いや、そういうのだって、勉強になるんじゃないんですか?」 「お嬢の言う通りや。その手の作品こそ、文章力がないと勝負にならんで」 「なるほど」 「読んだな」 「読んでません」 賢吾は切り出した。 「で、支援の話やけどな」 言いかけると、増伊が遮った。 「いえ。きょうお二人の話を聞きまして、もっと文学を研究してみたくなりました」 「素晴らしいじゃないですかあ」 れおんの輝く笑顔。増伊は感激して原稿を受け取った。 賢吾は、さりげなく1万円札を財布から出した。 「世界の文学を読みなはれ」 そう言って増伊に渡した。 「は、ありがとうございます。ありがとうございます。ここへ来て本当に良かった…」 「何でお嬢の顔見てゆう?」 「違いますよ!」 増伊アナンはむきになるが、れおんがケラケラ笑っているので安心した。 玄関で再び、れおんはキュートなスマイルを向けた。 「増伊さん、頑張って」 前へ |次へ |
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