《MUMEI》

「離して下さいませ。」

婦人の声は低音で、布地が掠れたようだ。


「失礼。」

林太郎は両手を大袈裟に挙げることで下心が無いと主張した。


「……いえ。」

視線を逸らす婦人に拒絶を覚えた。
白い仮面の中の動く眼光の違和感にも気付く。


「何処かでお会いしましたよね。」

林太郎にとっては尋ねるというよりは確信だった。


「人違いですわ。」

彼女は林太郎に気付いていたようで顔を伏せて逃げるように消えて行った。



「俺は貴女の事を忘れていない。」

彼女の山吹色の夜会服が見えなくなるまで林太郎は眺めていた。
見識った人を今日で二人も見付けてしまい、世間の狭さに林太郎は一人、歌いながら帰った。
まるで気でも狂ったように声を張り上げて歌った。
圓谷の屋敷で奥方が鍵盤を叩いていたので、自然に耳に留めた覚えた「ダイク」と云う曲だ。

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