《MUMEI》 矛盾れおんは、恐る恐る診察室のドアを開けた。玄関を見る。鍵は確かにかけたから開くはずがない。 ガチャガチャ! れおんは正体がわかって、一気に力が抜けた。 「風かよう!」 もう一度戸締まりを確認すると、和室に戻った。 「怖かったあ」 この夜から、れおんは度々シャワーを使わせてもらった。さすがに毎日浴びることはしなかったが、職場でのシャワーはスリリングでお気に入りの時間だ。 時は少し過ぎた。 人生、楽しいことばかりならいいが、なかなかそうも行かない。苦しみの底に沈み、そこから這い上がれない人々がいる。 仲矢真次。50歳。 意気消沈した顔で、役所へ入った。髪は薄くないが、年齢とともに額が広くなった。 やや太り気味だが、会社で課長だった彼は、貫禄があった。 まさか会社が倒産するなど、夢にも思っていなかった。 肩を落とし、疲れ果てたような歩き方に、以前の面影はない。 50歳という年齢に就職難が重なり、面接をしても採用されない。 仕方なくアルバイトをしたが、20万円くれるところがない。 倒産してから約2年。辛い日々を続けていた。 きょうは、未納の相談に来た。若い職員が早口でまくし立てる。 「仲矢さん。毎月いくら払えます?」 「そうですね、2000円…」 「2000円なんてダメですよ。最低でも1万毎月払っていかないと、追いつきませんよ。だって毎年新しい分が来るんだから」 仲矢は低姿勢で反論した。 「しかし、無理な金額約束して、払えなきゃ意味ないでしょ」 「何言ってるんですか。食費切り詰めたり努力するんですよ。被害者意識持つのはやめようよ」 「はっ?」 「は、じゃなくてさあ」 仲矢は拳を握りしめた。 「何か、文句あります?」 「まさか!」 「じゃあ、毎月1万円の納付書をつくりますね」 「ちょっと待ってください!」 仲矢は、来たときよりも、さらに意気消沈した様子で役所を出た。 自暴自棄になりそうな自分を、必死になだめた。ヤケを起こしてはいけない。「笑う門には福来たる」だ。 信号待ちをしていると、掲示板が目に入った。 「慢性、金欠病?」 夢のクリニックでは、急なお客さんに、れおんがそわそわしていた。 「仲矢真次さん。50歳。会社が倒産してそのあと就職できずに、慣れない肉体労働で苦労したらしいわ」 「50ですかあ」 「残念か?」 心外な一言にれおんは怒った。 「あたしがそんな女だと思ってるんですか?」 「思っとらん思っとらん。けどお嬢。何歳まで対象内や?」 「何ですか急に?」 「深い意味はない」 れおんは、少し考えてから答えた。 「25まで」 「何やそれ?」 ピンポーン。 「はい!」 れおんは気合いを入れた。吾郎のときのような失敗は許されない。笑顔だ。 「こんにちは」 「あ、こんにちは」 仲矢は、れおんの輝くような笑顔につられて、思わずにこやかになる。 「ナース?」指を差して聞いた。 「あ、はい」 まさか、こんな可憐な女性のキュートなスマイルで歓迎されるとは。 仲矢は表情も生き生きしてきた。 「どうぞ」 「はいはい」 仲矢は賢吾の白衣を見ると、聞いた。 「ドクター?」 「院長や」 イスにすわると、すかさず言った。 「先生。私の首が回らない病気は治りますかね?」 「慢性金欠病ですね?」 「そう、それ」楽しそうだ。 「慢性金欠病は早急発見早急治療で治りますよ」 「もしかして大阪の人?」 「わいは江戸っ子や。てやんでえ!」 「がっはっはっは!」 賢吾が後ろを振り向く。 「受けてるやないか」 「いいから相談を進めてください」 れおんが両手で強引に賢吾を真っすぐ向かせた。 「ところで仲矢さん」 「…あ、はい」 「借金ですか?」 「……あ、税金です。払えなくて」 「どこ見て喋ってんねんさっきっから?」 賢吾は怒った。れおんは照れて俯く。 「いやあ、素敵なお嬢さんですねえ」 前へ |次へ |
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