《MUMEI》
1.白月
「奴が現れた!衛士を呼べー!!」
左佳は館中に響いた声に跳び起きた。
「左佳!」
簡易テントから出て来ると、走ってきた了宏に呼び止められた。
「―捕捉は」
「子の方角に西門」
それだけ聞くと、左佳は裏門から屋根上へ一気に駆け上がる。
篝火が犯人の行方を追う。
左佳はその後を追わず、屋根上を伝って駆け出す。
渡り廊下で走って行く人影を見つけ、左佳は飛び降りそのままの勢いで剣を振り下ろした。が、それは空を切った。
「観念するんだな。逃げ切れると思ってるのか」
左佳が剣を突き付けると、相手の動きが止まった。その顔は目深く被った頭衣でよく見えなかった。
と、一歩右へ動いたかと思うと左へ飛び、塀を乗り越えた。
後を追い塀を飛び降りた所で、左佳は固まった。
(―えっ)
月下に立っていたのは、月の光を受けて青色に輝く毛並みの馬だった。
「奴は!?」
左佳は辺りを見回すが、どこにも捕捉の姿は見当たらなかった。と、馬の足元に何か落ちているのを見つけ、それが何なのか解ると左佳は唖然となった。
「まさか―…」
左佳は目の前に立つ馬の目を、思わず見つめた。
「あいつは馬だったのか」
左佳は思わずそんな事を口走っていた。馬の足元にあるのは、さっきまで捕捉が着ていたと思われる物だったのだ。
と、馬が背を向け走り出した。
左佳が口笛で合図をすると、栗毛の馬が駆けて来た。
走りざま飛び乗ると、あの黒馬の後を追った。
馬は林の中に逃げ込み、左佳も続いて林の中に駆け込んだ。
(弓矢を持って来なかったのは失敗だったな…)
今の手持ちはこの剣だけだった。
馬に鞭を振り落としながら前方を見ると、黒馬が木立の中へと消えて行く所だった。
(何て足の早さだ)
しかし諦める訳には行かない。
「仔杏頑張ってくれ」
荒い息をしている馬にそう言うと、一声鳴いた。
「―あっ」
しかし仔杏の足が縺れ、左佳は馬の背から振り落とされた。
「ぐっ!」
背をしたたか木に打ち、気を失いそうになった。
「―くそっ」

何とか屋敷まで戻って来ると、屋敷中が騒然となっていた。
「何か盗られたか」
左佳は近くにいた衛士に声をかけた。
「はっ!それが犯人は何も盗らずに逃げたようです」
「何っ…?」
(何も?どういう事だ)
「左佳!大丈夫か」
中庭まで戻って来ると、了宏が駆け寄って来た。
左佳は腹を抑えていた手を下ろした。
「たいした事は無い。それより、捕捉は何も盗らなかったって本当か」
「あぁ、左佳。捕捉の顔を見たんだろ?」
左佳は首を振った。
「頭衣で顔までは…しかし」
そこで左佳の言葉が詰まった。盗人が馬になったなんて誰が信じる?
「左佳?」
不審に思った了宏が、左佳の顔を覗き込んだ。
「逃げられた上に怪我をしただと?」
そう言って奥の部屋から出てきたのは、この館の主人帯守だった。
「本当に…申し訳ありません」
左佳は頭を下げた。
「この屋敷の警護を任せたというのに、盗人にはおめおめと逃げられ全くとんだ愚図だな」
帯守は言うだけ言って部屋へ戻って行った。
「…左佳、とりあえず怪我を見せろ」
「あ、あぁ…すまない」


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