《MUMEI》
一線
例のファミリーレストランで、賢吾とれおんは食事をした。
賢吾の理念に共感しているれおんは、もっと洒落た店に行きたいとは思わなかった。
贅沢を言って嫌われたら意味がない。
「たまにはいいですよね。院長と二人きりで食事も」
幸せそうな笑顔のれおん。あの面接の夜と比べると、明らかに変わった。
「お嬢。怒ったらアカンよ」
れおんは不安な顔色になる。
「内容によりますよ」
「今度必ず二人でゆっくり焼肉でも食おう」
焼肉は嬉しいが、ということは。
「だれか来るんですか?」
「八木内準を呼んでる」
れおんは真顔でアイスティーを飲んだ。
「言えばいいじゃないですか」
「99パーセント断ったやろ」
確かにそうかもしれない。
「まあ、会うだけ会ってみます」
浮かない顔のれおんに、賢吾は焦る。
「彼は一生懸命なんや。夢を応援してあげたい」
れおんは顔を上げると、賢吾を見つめた。
「もしかして芸術家支援の一端ですか?」
「まあそうや」
「ならあたしだって。あたしは院長の事業を補佐する婦長ですから」
「頼もしいな」
八木内準が来た。爽やかな好青年だ。れおんもそれは認めた。
「こんばんは院長」
「久しぶりやな」
賢吾が立ってれおんの隣にすわる。
「初めまして、八木内です」
「姫野です。初めまして」
「素敵やろ?」
「院長!」
れおんは横から賢吾を叩いたが、準は本気で感激していた。
「魅力的な方ですね。恐れ入りました」
れおんは照れた。
「そんなこと言われたことないから、どうしていいかわかりません」
「ルックス誉められたの150回目や」
「院長」
睨むれおんと笑う準。賢吾はしつこい。
「このクラスになると、もう口説かれ上手やからな」
「院長怒るよ」
「からかったらダメですよ」
準は話題を変えた。
「れおんさんは絵好きですか?」
「見るのは好きですね。でも描けない」
準は改まって言った。
「あの、美しい女性のモデルを探しているんです。れおんさん。モデルになっていただけませんか?」
悪い人ではないと、れおんは感じていた。ストレートに頼まれると弱い。
「あ、じゃあ、あたしで良ければ」
「嬉しい!」
準は喜びをあらわにした。
「ありがとうございます」
「とんでもない」
頭を下げられて、れおんは恐縮した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
この日は特に次の約束をすることなく別れた。
賢吾とれおんは、再びタクシーでクリニックへ戻る。
「お嬢」
「何ですか?」
「どうやった?」
「何がですか?」
れおんはとぼけて診察台に腰をかけた。賢吾はイスにすわる。
「準君や」
「やぎうちなんて珍しい苗字ですね」
「それだけか?」賢吾は焦った。
「絵のモデルはやりますよ。院長の頼みなら、聞きます」
賢吾は話を変えた。
「マッサージどないする?」
れおんは明るい笑顔に変わった。
「してくれるんですか?」
「構わん」
れおんは緊張した面持ち。意を決して切り込む。
「構わんなの。あたしがしてもらいたいから?」
れおんの真顔は怖い。微妙に揺れ動く乙女心。賢吾は鈍感なふりにも限度があると思った。
「わいがお嬢をマッサージしたいかって、当たり前やないか」
「何で?」れおんは笑顔で聞いた。
「愚問や」
「院長」
「まだあんのか?」
れおんは深呼吸すると、賢吾の目を真っすぐ見つめた。
「院長って、結婚してるんですか?」
ピキーン!
「まじめに答えなかったらキレますよ」
賢吾は再びうーで誤魔化そうとしたが、これではできない。
「ほなら、まじめに答えるよ。一家離散や」
れおんは衝撃を受けた。
「ごめんなさい。何も知らないで」
「構わん。わい面倒くさいの嫌いなんや。恋愛とか結婚はもうええよ」
れおんは小声で囁いた。
「それ言っちゃいます?」
「ええよ、こんな話」
部屋に沈黙が流れる。れおんは唇を噛んで俯いた。

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