《MUMEI》

「お帰り、蒼。遅かったのね」
何一つ変わらない母親の出迎えにほっと胸を撫で下ろして
此処は安全なのだと実感した途端脚から力が抜け落ちた
「蒼?」
疲れきっている高岡へ、母親は心配気に顔を覗き込んでくる
だがすぐ後に、何故か母親の視線は高岡の脚元へ
何かあるのかと高岡もそちらへと向いて見れば
「みー」
小太りの猫が一匹、高岡の傍らに寄り添っていた
「ねぇ、蒼。これ、何?」
母親がさも不思議気に問うて
高岡の方も心当たりなどなく、その猫を抱え上げる
「……もしかして、あいつ?」
暫く考え漸く思い当たる節が
眼を細く瞑り、笑った様な表情のその猫にあの男の顔が何故か重なった
「もう、訳わかんない!」
「あ、蒼?」
一人喚く事を始めてしまった高岡に母親は驚き
だが高岡はそんな母親を気に掛ける事もせず猫を小脇に自室へ
入るなり猫をベッドの上へと座らせていた
「……アンタ、一体何なの?」
猫の両頬を軽い力で掴んでやりながら言いよれば
その口元がゆるり開いた
「……標糸」
「え?」
まさか言葉が返ってくるとは思いもせず
その猫から発せられた声に驚いて
また猫を抱え上げまじまじ眺めてみれば、途端に猫は身じろぐ事を始め高岡の手から逃れる
「明日はどこにも出かけない方が良い。三成の奴がそう言っておった」
猫らしからぬ重々しい声
その様を高岡はまじまじと眺め見ながら
「三成って、もしかしてあいつの事?」
何故猫が人語を操っているのかを突っ込むより先に
その名があの男を差すそれなのかをその猫へと問うていた
猫は頷く事も程々に踵を返すと窓から外へと出て行って
丸く、鈍そうな見た目とは相反し
軽やかに走って去っていくその後姿を眺め見るしか出来なかった
「……一体、何なのよ。それに標糸って――」
十字路で出会った少年も言っていた、標糸という聞きなれない言葉
ソレが一体何を意味し、た顔赤に同関係するのか
考えてみた所で答えなど見出せる筈もない
「……腹立つ」
猫の去っていた後を睨みつけながら一人言に呟いて
だがこれ以上考えても無駄だと手荒く窓を閉めると
早々に床に入ろうと、高岡は寝間着を抱え風呂場へと向かった……

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