《MUMEI》 断崖絶壁博美は一瞬、石川の顔が浮かんだ。簡単にドアを開けてはいけない。 「はい」 「下の階の者ですけど」 若い男の声。博美はホッとした。 「何でしょう?」ドア越しに聞く。 「洗濯機回してます?」 「いえ、今は使ってませんけど」 「ウチの天井から水漏れしてるんですよ。お宅、どっかホースとか外れてません?」 博美は洗濯機を確かめた。異常はない。とりあえずドアを開けた。 部屋に眩しい光が差し込む。光の中には、悪魔がいた。 (石川!) 博美は驚愕の表情。森で熊に遭遇したかのような顔をして、体の震えが止まらない。 石川は若い男に言った。 「車で待っていなさい」 「はい!」 若い男は階段を下りていった。石川はドアを閉めると、部屋に上がった。 「お邪魔しますよ」 博美は胸が苦しくて仕方がない。 「いい部屋じゃないですかあ」 石川は部屋を見回すと、お膳の前にすわった。博美も俯いたまま正座する。 「石坂さん。急にいなくなっちゃうから心配しましたよ。でも、元気そうで何よりです」 博美は顔を上げられない。 バン! 「ひゃっ」 お膳を叩かれ、博美はびっくりして石川を見た。 「石坂さん。舐めてる?」 「舐めてません」 「舐めてんのか?」 博美は荒い息づかいのまま答えた。 「舐めてません。怖いです」 怖がる博美を見て、石川が笑みを浮かべた。 「石坂さん。連絡ないまま黙って引っ越したということは、借金を踏み倒す気ですね?」 「違います」 「じゃあ、払ってくれますね。200万円」 「200万円!」 驚く博美に、石川はあっさり言った。 「延滞金ですよ」 博美はキッチンの包丁が頭に浮かんだが、唇を噛み締めて耐えた。 「石坂さん。ただ払えじゃ脳がないからね。高給取れる仕事を紹介しますよ」 博美が顔を上げると、石川は広告をお膳の上に置いた。 『夜這いプレイの店』。 博美は泣きたかった。 「そういうお店では、働けません」 「石坂さん。ホテトルで働けとは言ってませんよ。夜這いプレイは体売るわけじゃない。ただアイマスクしてベッドに寝て、お客さんが夜這いプレイするのを受けるだけです」 博美は全く働く気がないので、右から左に流した。しかし石川は話を続ける。 「コスチュームは客のリクエスト通りです。パジャマ、浴衣、水着、ランジェリー、ナース。くの一や婦人警官など、ハハハ。マニアックなものもありますよ」 博美は嫌悪感を示した。 「そこでは、働けません」 「大丈夫ですよ。優しいお客さんばかりですから。あなたは受け身で演技をすればいいんですよ。女優なんだから、得意でしょう」 侮辱だ。 「まあ中には凄いテクニシャンがいてね。石坂さんも、メロメロにされてしまうかもしれませんよ」 「ハッ!」 博美は気づいた。この男、客として来るつもりだ。 彼女は想像しただけでおぞましさに震えた。 「その店では、働けません」 「じゃあ今すぐ200万円払ってください」 博美は、怯んだ。 「今すぐは無理です」 「では明日までに」 無理と知っていて、なぜそういうことを言うのか。 「明日また来ます。払えなければ、そのまま店に連れて行きますよ」 そんなバカな。博美は石川の顔を直視した。 「3日待ってください」 「3日ですかあ。逃げないという担保が必要ですね」 「担保にできるようなものはありません」 「ありますよ」 「一筆書くんですか?」 「そんなもん書いたって、平気でホゴにする人間でしょう?」 博美は俯いた。石川が話を続ける。 「担保は簡単。全裸写真です」 「え?」 博美は身の危険を感じた。石川がお膳をどかして迫る。 「自分で脱ぎますか。それとも、車から荒っぽい連中を呼びましょうか?」 「待ってください」博美は石川の手を握った。 「……いいでしょう。3日後ね」 石川は立ち上がると、正座している博美の脚を触った。彼女は、唇を噛み締めて耐えた。 前へ |次へ |
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