《MUMEI》
悪夢
石川がお膳の前に正座すると、強豪大兵が現れた。
(ヤクザ?)
石川は怯える目で強豪を見上げる。助けを求めるように博美を見たが、彼女は怖い顔で睨みつけていた。
「初めまして。私こういうものです」
強豪のドスのきいた声が響く。名刺を受け取った石川は、青い顔で言った。
「弁護士、さん…」
ヤクザではないとわかった安堵感と、弁護士では敵わないという諦めの気持ち。この両方が混ざり合って、石川は情けないくらい目が落ち着かなかった。
強豪大兵が迫る。
「二三質問してもよろしいですか?」
「なんなりと」
強豪はお膳の上に広告を置いた。
『夜這いプレイの店』。
石川は額に汗をかきながら、強豪と博美を交互に見た。
「この店は、どういう店ですか?」
「あの…。200万円チャラにしてもいいですよ」
石川の言葉に、博美は口を半開き。強豪も笑顔を見せた。
「ほう。そいつはありがたい」
「では、私は用事がありますので、これで」
石川が立とうとすると、強豪が声を張り上げた。
「お待ちください!」
石川は蒼白な顔を向けた。
「まだ話は終わってませんよ。どうぞおすわりください。どうぞ」
強豪大兵の声、言葉、態度。すべてに脅しが入っていた。
石川は仕方なく正座した。
「石川さん。誓約書にサインをしてください」
石川は恐る恐る誓約書を読んだ。
200万円の借金は無効だということを認めること。
石坂博美には二度と会わないこと。
この二つだった。もっと無理難題が書かれていると思った石川は、安心した。
サインをする石川に、強豪が聞く。
「印鑑は持っていますか?」
「持っていますよ」
石川は判子まで押した。解決だ。博美は感動した。一人なら泣いていた。
強豪大兵は、石川をもっとこらしめたかったが、博美を救うことが目的なので、石川を帰した。
博美は晴れて自由の身。再び演劇の活動を再開した。
れおんは、賢吾ファミリーという言葉の意味がよくわかって嬉しかった。
帰路。
自転車を漕ぎながら、賢吾の力量を再認識して、思わず笑みがこぼれる。
すべてが解決したあと、賢吾が博美に言った言葉が、れおんは印象に残っていた。
「私心なき捨て身の人間が財力を持ったら、ある意味鬼に金棒や」
れおんは自転車をアパートの下に置き、階段を上がった。
「あっ」
ドアのノブに紙袋が掛けてある。中を見るとジャケットだ。
「吾郎さん来たんだ」
れおんは部屋に入り、ジャケットをしまう。紙袋の中にはメモがあった。
彼女は少し緊張しながら読んだ。
『親愛なるれおん様へ』
あまり嬉しくない。
『まさか居留守を使われるとは思いませんでした』
れおんは怒った。
「居留守なんて使ってないよ。どうしてこういうこと書くかなあ」
ムッとした顔で続きを読む。
『ここにメルアドを書いておきます。メールくれたら訪問はしません』
れおんは一気に気分が悪くなった。
こんな身勝手な頼みを聞くつもりはない。れおんはメモを丸めてゴミ箱に捨てた。
翌日の夜。
れおんはクリニックから帰ると、ドアに挟んでいるメモに気づいた。
暗雲が胸の中に広がる。
部屋に入って玄関でメモを読んだ。
『まさかとは思うけど、シカトはなしだよ。きっとメルアドを間違えて記入したと思うので、ここに書いておきます』
さすがに怖い。れおんは携帯電話を出してメールを打とうとしたが、やめた。
正直、完全に縁を切りたかった。
翌日。
れおんは待ち伏せを警戒して、夜遅くに帰宅した。
やはりメモはあった。
『よくわかった。君のことは、許さないよ』
れおんは胸が詰まった。
「何で……」
れおんは考えた。
もしメールを送ったとして。最初は感激してくれるかもしれないが、そのうち必ず会いたいという話になる。
それを断ればまたもめる。
れおんは、自分が博美の立場になったことを自覚した。
「怖い。怖いよ、賢吾さん…」

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