《MUMEI》
れおん
翌朝。
診察室で、れおんは賢吾に聞いた。
「院長、きょう相談の予約入ってます?」
「予約は入っとらんよ」
「そうですか?」
れおんは、相談者がすわるイスにすわった。
「じゃあ、あたしの相談。聞いてくれます?」
冗談ではなさそうだ。賢吾も真顔になった。
「どないしたん?」
れおんが俯く。賢吾は彼女をリラックスさせるように、静かに話した。
「何か、こうして向かい合うと、面接のときを思い出すな」
「短気を起こして、途中で帰らなくて良かった」れおんが笑みを浮かべる。
「このクリニックに来なければ、違った青春があったかもわからんな」
「来て良かったです。院長に会えたから」
賢吾は交わすように、本題に入った。
「で、相談て何や?」
「あたし、ストーカーに……」
そこまで言うと、れおんは言葉が詰まった。賢吾の顔も曇る。
「ストーカーはやっかいやなあ。見知らぬ男か?」
れおんは首を横に振る。
「院長も、知ってる人」
賢吾は顔をしかめると、勢い込んで聞いた。
「あの、作家目指してる増伊アナンやろ?」
「違います」
「真っ先に顔浮かんでしもうた」
「カウンセラー失格ですよ」れおんが睨む。
「あ、まさかあの競馬好き、いい年こいて」
「違います」
「じゃだれや?」
賢吾とれおんの共通の知人となると、僅かしかいない。
途中もりやす。
八木内準。
銀星吾郎。
賢吾は、真剣な目でれおんを見た。
「…吾郎?」
「まだ、ストーカーと決まったわけじゃないんですけど」
「だって接点ないやろ?」
「実は、あるんです。院長に心配かけたくないから、ずっと黙ってたんですけど」
賢吾の顔が青い。
「話してみい」
「院長。怒らないで聞いてください」
賢吾は恐怖を覚えたが、優しく言った。
「怒るわけないやろ。すべて話してごらん」
「はい」
れおんはすべてを話した。
深夜の大都会。大勢の男たちに囲まれて、生きた心地がしなかったこと。
吾郎に助けられたこと。ホテルで朝まで一緒だったが、無事だったこと。
吾郎がアパートに来たこと。襲われそうになったが、許してもらったこと。
そして、最近のメモの件。
「軽率でした。ごめんなさい」
賢吾は、正直胸を撫で下ろした。肉体関係を持ってしまったなど、取り返しのつかない話をされると恐れていたからだ。
「れおんが謝ることない。れおんは何も悪くない」
れおんも安心した。叱られると思ったからだ。
「見知らぬ男のほうが怖いからな。吾郎君なら、話せばわかるよ」
「でも…」
「大丈夫や。戦ゆうのは、常に最悪の事態を想定して作戦を立てるものや」
「作戦?」
賢吾は説明した。
「まずはお嬢を安全な場所へ移す」
「またお嬢に格下げ?」れおんは小首をかしげた。
「その魅力光線が好青年をストーカーに豹変させるんやな」
れおんは怒って賢吾の膝を叩いた。
「痛いやないか」
「洒落になってない」
ふざけている場合ではない。
「万が一のことを考えて、引っ越そう」
「でも、アパート変えても、吾郎さんはここを知ってるわけだから」
「クリニックごと引っ越そう」
賢吾の言葉に、れおんは驚いた。
「ダメですよ、あたしのためにそんな」
「従業員一人守れんで、何のためのクリニックや」
「しかし、院長には壮大なビジョンと崇高な使命がわるわけですから」
「何がビジョンや。何が使命や。人類60億天秤にかけても、れおん一人のほうが大事や」
「!」
れおんは目を見開き、口を半開きにして、賢吾を見ていた。
診察室に沈黙が流れる。
「院長」
「何や?」
「泣いていいですか?」
「泣け」
れおんは突っ伏した。賢吾は焦る。
「ホンマに泣いてどないすんねん」
「なーんてふざけてる暇はないですね」れおんが体を起こした。
「何や。本気で号泣したかと思った」
「したほうが感動的でしたか?」
「微妙なところやな。演出は難しいねん」

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