《MUMEI》 電光石火!賢吾が動いた。 あちこちに電話をかけると、クリニックの引っ越し準備にかかった。 最初は賢吾とれおんだけで荷造りをしていたが、引っ越しのプロが大勢来た。 まさに人海戦術で瞬く間に作業を進めていく。 「院長、引っ越し屋さんもやってるんですか?」 「引っ越し屋とは少しちゃう。夜逃げのプロや」 「ゲッ…」 「何がゲや?」 荷造りをしながら女子が言った。 「Tが一人だと楽です」 「T?」れおんが賢吾の顔を見る。 「ターゲット。吾郎君のことや。こうしている間にここに来たら意味がないからな。今数人で見張ってる」 れおんは何となく胸が痛んだ。 クリニックのほうが片付くと、次はれおんのアパートだ。 戦いは電光石火。油断せず、速やかに作業は進められた。 れおんは改めて賢吾の力量を痛感し、頼もしいような、怖いような、複雑な気持ちになった。 乗用車の後部座席に賢吾とれおんが乗る。 「お嬢」 「何ですか賢吾さん」れおんはすました顔で見つめる。 「れおん」 「はい」 「れおん」 「うるさいよ」 「何がうるさいや」賢吾は笑った。 「何ですか?」 「今度のクリニックは広いぞ。れおんのアパートが見つかるまでそこに住んだらええ」 「住めるとこなの?」 「二階建ての家や。二階に部屋が三つもある。バスルームも広いし、なかなかええよ」 れおんは本気で感心した。 「よく短時間でそんな場所を見つけましたね?」 「わいをだれ思っとんねん」 れおんは賢吾の肩に頭を預けた。 「頼りにしてます。全部預けるわ。身も心も」 「アホ」 「アホ?」れおんは目を丸くして賢吾を見る。 「アホっていう場面じゃないでしょう。ホントにロマンがないんだから」 「だれがマントヒヒのおじさんや?」 「知りませーん」れおんは頭を抱えた。 「失礼やないか」 円滑に、ゆっくり急いで、れおんの荷物とクリニックの荷物を、新しい家に運んだ。 賢吾は家の外でれおんに笑いかける。 「れおん一人じゃ心配やから、わいが泊まっても構わんよ」 「そっちのほうがよっぽど危険ですよ」 「あ、そういうこと言うか。ほな、さいなら」 賢吾が背を向けて車に向かう。れおんは焦って追いかけた。 「院長、冗談ですよ」 真顔のれおんを見て、賢吾が笑う。 「わかっとるよ、そんなこと。何この世の終わりみたいな顔してんねん」 「院長に嫌われたら、終わりの身ですから」 「情けないこと言うなあ」 れおんはムッとした顔でむきになる。 「情けなくないよ。じゃあ、院長はあたしに嫌われても終わらないの?」 「何言うてまんねん。終わってた人生が、れおんと出会って始まったんやないか」 れおんは一瞬意味がわからず、心の中で復唱してから、ニンマリと笑みがこぼれた。 「嬉しいこと言ってくれますね作家さん」 「ええから早よう寝なさい」 「そういう、小学生に言うような言い方はやめてください」 「いろいろ注文が多いナースやな」 「いいよ、そうやって子ども扱いしてれば」 れおんは口を尖らせると、背を向けて家のほうへ歩いた。 「れおん」 「ん?」振り向く。 「おやすみ」 「お休みなさい」 れおんはキュートなスマイルを向けると、手を振った。 ドアを開けて中に入る。 『終わってた人生が、れおんと出会って始まったんやないか』 思わず笑みがこぼれる。 「言うじゃない、賢吾さん」 れおんは家の中を見て回った。 玄関で靴を脱ぐと、すぐに待合室がある。 スリッパを履き、診察室へ。ソファでも話せるし、相変わらず診察台もある。 戸を開けると、広いキッチン。奥にはバスルーム。トイレは1階と2階にある。 れおんは階段で2階に上がった。 部屋が三つ。これを全部使っていいと言う。 「ずっとここに住んじゃおうかな」 れおんは下へ下りた。 ずっとここに住むということは、賢吾の翼の中ということか。 「乙女の危機」 れおんは笑った。 前へ |次へ |
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