《MUMEI》 ブルーの傘諦めるわけにはいかない。せっかく見つけた幸せを、ここで壊されてはならない。 れおんは気持ちを確かに持った。 「吾郎さん。あたしをどうするつもり?」 しっとりとした声。吾郎はれおんを優しく抱き締めた。 「もういいよ」 「もういいって?」 「言い訳はもういい」 ダメだ。今度こそ許してくれない。れおんは頭を急回転させた。 突き飛ばして逃げようか。しかし外は大雨。裸足で飛び出しても、だれも助けてくれなかったら、引き戻されて終わりだ。 ではトイレに逃げ込むか。これも無理。ドアをこじ開けられたらアウトだ。 では金的に膝蹴りをして携帯電話で警察を呼ぶ。これも危険過ぎる。もしもしくじったら。あるいは逆上されたら、無事では済まされない。 逃げ道はない。 「れおん」 「はい」 「怖い?」 吾郎の質問に、れおんは瞳を閉じると、腰に手を回した。 「凄く怖い」 また稲妻が光り、雷が鳴る。激しい雨は、降り続いている。 「れおん!」 吾郎も泣き声になっている。れおんは最後の逃げ道を見つけた。 「吾郎さん」 「何?」優しい声。 「許していただくわけには、いきませんか?」 「とっくに許してるよ」 れおんは力が抜ける思い。だが油断はできない。 吾郎は両手を離すと、れおんの細い肩を押して、彼女の美しい表情を見つめた。 「れおん。君に話したいことがあるんだ」 「話したいこと?」 「女の子がこんなカッコじゃ怖いだろ。いいよ。服着てきて」 「え?」 れおんは警戒しながら吾郎から離れた。追わない。 「待ってて」 れおんはキッチンに走った。自分に危害を加えるつもりなら、服を着てきていいなどと言うはずがない。 一筋の光明。 れおんはいつかの夜を思い出し、冷静に下着をつけてから、ジーンズとTシャツを着た。 「お待たせ」 なるべく明るくしようとするれおん。吾郎はソファにすわっていた。 「れおん。ここすわって」 「待合室で話しませんか?」 万が一を考えて、いちばんドアに近い待合室へ歩いた。 「相変わらず警戒心旺盛だね。不用心のくせに」 「え?」 「鍵開いてたよ」 やはり締め忘れていたのだ。ということは、吾郎が入って締めた。 二人は待合室に並んですわった。 「僕が言う資格はないけど、戸締まりだけは気をつけて」 「はい」 れおんは小さくなった。シャワーを浴びているとき、すでに吾郎がいたことを思うと、自然に胸の鼓動が高鳴る。 「れおん」 「はい」 「俺、故郷に帰ろうと思う」 「故郷。どこなんですか?」 吾郎は遠くを見るような目をした。 「東北だよ」 「東北。遠いですね」 「そこでゼロからやり直すよ。都会は僕には、合わなかった」 ちゃんと会話になっている。れおんは慎重に言葉を選んだ。 「頑張ってください。応援していますから」 「嘘とわかっていても嬉しいよ」 「何で。嘘じゃないよ」 吾郎は立ち上がった。 「帰るよ」 れおんも立つ。吾郎は下駄箱に隠した靴を出すと、履いた。 「れおん。君に出会った不幸を噛み締めながら、生きていくよ」 「不幸。吾郎さん案外詩人なんですね」 「案外は余計だよ」 ドアを開ける。外はまだ雨が降りしきる。 「吾郎さん傘は?」 「濡れたい気分だから」 「ダメよ。大事な旅立ちのときに、風邪なんか引いちゃ」 れおんは玄関にあるブルーの傘を掴むと、両手で持った。 「これ、プレゼントします」 吾郎は泣き崩れた。 「優し過ぎるよ。ひどいことしたのに」 れおんは笑顔で答えた。 「怖い目には遭わされたけど、ひどいことは、されてませんよ」 れおんは吾郎に傘を手渡した。 「はい」 「ありがとう。君のことは、一生忘れない」 「忘れてください」 「え?」 「嘘嘘。あたしも、忘れないから」 れおんはキュートなスマイルで、吾郎を見送った。 「ありがとう。さようなら」 「さようなら」 吾郎は帰った。 「……良かった」 前へ |次へ |
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