《MUMEI》

林太郎が幼い頃、店では掃除も満足に出来ず怒られては蔵に放られた。
満足に言葉も覚えられずにいた林太郎を世話したのは「初江」という林太郎のように出生が曖昧であり綺麗な聲を持つ齢十四の娘だ。

彼女は嫁に行ける歳であったが、生まれながらに顔の半分に瘡を持っていたので気味悪がって近寄る者は少なく、林太郎は幼過ぎて誰もが仕事を仕込むことを拒むので初江に林太郎のお守りを押し付けた。

初江と幼い林太郎はよく奥方や旦那の鬱憤を晴らすていの良い的でもあり、自然と互いに居る事が増えていた。
兄弟や家族とは違えど何かしらの絆は二人の間に存在していたと信じていた、少なくとも林太郎はそうであった。


其の日、初江の使いが遅れたので林太郎が迎えに行った、年末に向けて蔵の掃除を林太郎は任されていて初江に皺寄せがきた、一人では運べない量だが手伝う余裕は誰も無かった。

初江の聲は倩しく誰もが聴き入る歌聲を持っている、彼女に寄り添い歩いていた男の出で立ちはまさに貴族であり林太郎は反射的に彼女を離すまいとして向かっていた。


「知り合いかね。」


「……参りましょう。」

彼女が幸福ならばと何度も林太郎は云い聞かせた。
馬車に乗り込む彼女の背中は姫のようにしゃんとしていた、使いの品を取りに行った林太郎は当然罰を受けたが、初江の事はどんなに打たれようと口を割らなかった。
数ヶ月後、巷で若い歌姫が人気を博した、誰か明確では無かったが林太郎は其の噂だけで救われた、筈だったのだ。

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