《MUMEI》
グラス
花火の上がる音がした。

湿りはじめた空気の中で、今年もまた、気の早い子供達が夏をはじめているのだろう。

光司は上げた視線を戻し、珈琲フィルターにゆっくりと細く湯を回した。

自分の為に丁寧に入れた珈琲を、気に入りに席に移し、辺りをゆっくりと見回す。

雑居ビルの半地下にある店。28からやって来たこの喫茶店を、そろそろ畳もうと思っている。
光司は今年、52になる。

見慣れた店内は、改めて見回すとどこもかしこも古びている。

それでもこの店には、時代と共に入れ代わりながら、子供達が毎日のように顔を出した時期があった。



光司が店を始めたばかりの頃、この街はまだ何もなく、観光地と海に挟まれた工業地帯の一角で、どちらかと言えばガラの良くない土地だった。

いろんな店が建ち並び、学生が住み、遅くまで若い女が一人で出歩けるようになった今とは大分、違っていた。

−あの子達はどうしているのだろうか−

光司は棚の隅に置いてある、埃を被った一つのグラスに目をやった。

「ACO」と書かれている。
光司は目を細めて煙草の煙を吐き出した。
無意識に顎にやった掌で、ザラリと無精髭が音をたてた。

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