《MUMEI》
出会い
男は疲れていた。苦悩に苦悩が重なり、荒々しい豹のような風貌になっていた。
コンビニのレジ袋を手に持ち、アパートの階段を上がろうとした。彼の部屋は2階のいちばん奥だ。
「!」
危ない。部屋の前にはスーツを着た柄の悪い男が二人いて、ドアを叩いている。
彼は、アパートの住人ではないふりをして通り過ぎた。
夏の太陽が眩しい。彼の目の前は光で真っ白になった。
カン、カン、カン。
若い男がゆっくり階段を上がって来る。手にはレジ袋を握っている。
柄の悪い男は、静かな声で聞いた。
「沢村翔さんですか?」
猛豹のように猛り狂った男は、レジ袋を投げつけ、猛然とショルダータックル!
「わあああああ!」
一人が階段を転落した。
「何しやがんだテメー!」
もう一人が殴りかかる。当たる瞬間に身を交わすと、勢い余って体が伸びた。
振り向いたところを顔面に右ストレート!
「ギャッ…」
尻餅をついた男の顎を蹴り上げた。
「……」
人生はマンガではない。これはすべて沢村翔の想像だ。
彼はとっくに近くの小公園まで歩いていた。
平日の午後。小鳥たちが音楽を奏でる爽やかな街。大都会とは違うのどかな風景。
しかし沢村の胸の中は曇り空だった。
ベンチにすわる。レジ袋から缶コーヒーを出すと、ひと口飲んだ。
人はいない。静かだ。彼はパンをかじった。
キックボクサーを夢見ていた十代の頃が懐かしい。毎日練習した。ジムにも通った。
やがて社会に出るが、夢を捨てきれない。23歳のとき、本当に自分がやりたかったことが見つかった。
文学だ。
毎日猛トレーニングした。ボクサーのようにストイックに、書きに書いた。
しかし、夢というものは、生活の基盤が整っていないと、追いかけることも辛い。
失業。
予期せぬ出来事だった。
まだ27歳。作家の夢は諦めきれない。だが生活ができなければ、夢以前の問題である。
市役所に相談に行った。高飛車な市の職員が、嘲笑と蔑みで迎えた。
沢村の想像の中では、髪と服を掴んで引きずり込み、後頭部を3回殴ってから顔面に膝蹴り!
嫌気が差した。暴力的になっている自分に気づいた沢村は、気持ちを落ち着かせた。そういう想像ばかりしていると、いつか本当にやってしまいそうに思えた。
作家の夢。果てしない夢。不可能に近い夢。
だが、夢だけが唯一のブレーキだった。
破壊的衝動は、何かの縁に触れて爆発する。
外の悪が、内の悪を呼び覚ます。
パンを食い終わった沢村は、缶コーヒーを飲みほした。
「ふう」
ふと横を見る。音も気配もなかったはずだが、隣に美少女がいた。
夢か。
沢村は目をこすり、また見てみた。間違いない。すました顔で文庫本を読んでいる。
一見すると19歳くらいか。明るい茶髪は肩に少し触れる程度の長さ。
美人というよりかは、かわいい顔をしている。本当に、思わず見とれてしまうほど愛らしい。
可憐な唇。スレンダーボディ。純白のワンピースを着ているせいか、まるで天使が舞い降りて来たように感じてしまう。
パンの袋が下に落ちる。沢村が拾わないでいると、彼女の目線が袋へと動いた。
沢村はすぐに拾う。純白のスニーカーが見えた。裸足だ。セクシーな脚線美。もう一度綺麗な顔を見たくて顔を上げたが、目が合ってしまった。
(やべ)
脚を見ていた自分を見られては、今さら紳士と言っても信じてはもらえない。
沢村は逃げるように立ち上がろうとした。すると。
「あの」
「え?」
彼女が声をかけてきた。
「あなたの名前を一発で当てたら、あたしの話を最後まで聞くっていうのはどうですか?」
輝くような笑顔。沢村は目をそらせた。
「当たりっこない」
「当てますよあたしは」
「もし当てたら、それは当てたんじゃなく知ってたんだ」
「さすが沢村翔さん。鋭い」
彼女は気さくに肩を叩いた。
「君は。どこで会ったっけ?」
「初対面ですよ」彼女は笑った。

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